ポストフェミニズムに関するブログ

ポストフェミニズムに関する基礎文献を紹介するブログ。時々(とくに大学の授業期間中は)ポスフェミに関する話題を書き綴ったり、高橋幸の研究ノート=備忘録になったりもします。『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど :ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(晃洋書房、2020)、『恋愛社会学』(ナカニシヤ出版、2024)発売中。

文学・映画・アニメ作品批評

東浩紀の『観光客の哲学』をどう批判的に継承していけるかまとめ1

1. 『ゲンロン0 観光客の哲学』を楽しく拝読したので、内容まとめと感想をまとめておいて、今後なにかの時に使おうと思います。 東がここで提起している議論は、自分勝手な個人の楽しみを主要な目的としてなされる観光(消費+ふらふら歩き)によって発生…

批評界隈の「圧をかける」というあり方について:マッチョさとどう折り合いをつけるか

1. 新情報を提供するタイプの文章ではなく、ある程度知られていることに関して「論じる」ようなタイプの文章を世に出すときって、「書き手である私はこのことについてはよく知ってますから、これだけ見てますから、ここまで考えて書いてますから」というの…

『エヴァ』は身も心も一つになることを称揚している作品なのでは:エヴァ解釈についての補足

エヴァ解釈の話。 ytakahashi0505.hatenablog.com 私は前回のエントリーで、「人類補完計画は、人類の融合と性的「融合」(セックスのこと)を重ね合わせて表象されているが、主人公のシンジにはその誘惑をふりはらうことが期待されていた。ミサト、リツコ周…

LAMP IN TERREN

最近のロックだったらLAMP IN TERRENがいいですって教えてもらっていたのだが、この数日しっかり聴き、それ以降、打たれてけっこう茫然自失している。 松本大が書く詩の特徴は、「キミ」が具体的な像を結ばないところにある。これは確信的にやっていると思う…

男性オタクコンテンツにおける距離のパトス:性的比喩で描かれる人類補完計画の考察から

人類補完計画とは何だったのかを考えていたら、男性オタク向けコンテンツにおける「純愛と性欲の間の距離のパトス構造」とでも呼ぶべきものがあるのではないかということに思い至りましたが、とりあえず、ずーっと人類補完計画の話で、距離のパトスについて…

『やがて君になる』がすごくよい

1 Twitterですでに呟いたのですが、『やがて君になる』(原作2015-2019、アニメ2018)が素晴らしい。 アニメ放映が2018年10月-12月で、これは『色づく世界の明日から』(2018)や『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』(原作2014‐、アニメ2018)と…

「空洞な身体」に宿る憑依 ――中上健次の身体論――

実は、私は一時期「もう研究者になるのムリかも、正規ポスト得られなさそう、物書きとして生きていこう」と思っていた時期があって、その頃、『群像』の新人評論賞に応募したことがありました。30代中盤、2010年代のこと、応募したのは2018年春のこと。 群像…

虚淵玄脚本作品について

【*若干ウツ注意かも。読むとウツ症状が深刻化するかもしれません、今、精神状態がやばい人は読むのをやめましょう】 1. ウツ的な問いというのがあって、問うてもしかたないと思って問いすらしないような、この世界に対する根底的な疑念、違和感、諦め、…

『PSYCHO-PASS サイコパス』では2021年に新自由主義が終わっていたけど、それってどういうことだったんだっけ

1. テレビアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』(第1期、2012-2013年)は、西暦2112年開始設定のSFものですが、このセカイでは2020年の世界恐慌をきっかけにして、2021年に新自由主義経済が崩壊しています。(以下、基本的には、公式サイトhttps://psycho-pa…

ジェンダーから見るセカイ系:戦闘少女の登場と少年の受動性(2)

序章 1.セカイ系作品群をいまジェンダーの観点から論じることの必要性 1990年代後半から2000年代に生み出されたセカイ系は、基本的に男性が作る男性のための作品だが、そこでは戦闘能力としても精神的にも弱い男性主人公が繰り返し描かれた。圧倒的な強さを…

ジェンダーから見るセカイ系:戦闘少女の登場と少年の受動性

あるところに「本企画」として提出した文章なのですが、そういえばもう半年くらいたったのに音沙汰がないので、ダメだったのかなーと思っているところです。なので、公開。 セカイ系をジェンダーの観点からきちんと(体系的に)分析してまとめたものはなかっ…

ニヒリズムの極北ニーチェの魔力

0.人生を変えるものとしてのニーチェ 私は高校生の時にニーチェ思想にぶち当たってしまったために、人生が変わってしまった感がある。いや、そんなことを言えば、それ以外にも色々なあやまちはあったのであって(思想的に「あやしげ」(*)な人にばかり恋…

『天気の子』の物語原理の見えにくさ:これまでの新海作品から『天気の子』へ  

*ネタバレありです。 1. 新海誠はロマンティックの極北であり、切なさの巨匠だ。 ロマンティックなものは、シニカルな態度で批判的に論理を楽しむという鑑賞態度を拒む。ノれるかノれないかだけが問題になってくる、それがロマンティシズム。 80年代的ポ…

キリトはなぜGGOで男の娘になるのか

0. 長くなったので、最初に結論を言います。 ・前提:元の平凡な少年であるよりも、男の娘の方が、女のコ(シノン)との恋愛の駆け引きをしやすく、また女のコを陥落させやすい。 結論:物語展開上、シノンと恋愛の駆け引きをする必要があったので、キリト…

村田沙耶香『コンビニ人間』評(3)

(続き) 4.『コンビニ人間』の構造:ディストピア小説としての『コンビニ人間』 大きな社会と戦う正義のヒーローとしての古倉さんという読み方は以上のように可能であるのだが、しかし、『コンビニ人間』という作品を論じるときに、このような「社会問題的…

村田沙耶香『コンビニ人間』評(2)

(続き) 2.『コンビニ人間』の「新しさ」:労働と人間性 「personal(個人的なものの)領域/social(社会的なものの)領域」という区別に基づいて社会を編成している民主主義・自由資本主義社会において、経済的領域での労働は人間らしさや個性を剥奪され…

村田沙耶香『コンビニ人間』評(1)

第43回 哲学カフェ横浜(2018/12/05)で報告させていただいた村田沙耶香『コンビニ人間』評をアップします。 文芸批評とはある作品がもっている思想的可能性を展開して論じるものだと、私は考えています。これはとても重要な仕事だと思うので、これからも色…