ポストフェミニズムに関するブログ

ポストフェミニズムに関する基礎文献を紹介するブログ。時々(とくに大学の授業期間中は)ポスフェミに関する話題を書き綴ったり、高橋幸の研究ノート=備忘録になったりもします。『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど :ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(4刷, 晃洋書房, 2020)、『離れていても家族』(亜紀書房, 2023)、『社会学の基礎』(有斐閣, 2024)、『恋愛社会学』(4刷, ナカニシヤ出版, 2024)発売中。

『恋愛社会学』は恋愛をどう定義して議論しているのか?−−3分類の提起

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上記に貼ったポリタスTVで『恋愛社会学』についてがっつり90分お話しさせてもらった時、ニキさんに「社会学では恋愛をどう定義してるんですか?」と聞かれ、それにすぐに答えられませんでした。永田さんと一緒に「それは本質的に重要な問いで、答えるのが難しいから一冊本を作ったんです」というようなことを言った記憶があります。

で、一冊作ったので、この一冊において恋愛はどう定義されているのかを整理してみようと思い立ちました。

題して「恋愛社会学は恋愛をどう定義して議論しているのか?

これを考えたら、自分(高橋)の第1章の議論をどう位置づけたらいいのかが分かってきました。(本の原稿を書いている時には、とにかく「いま必要なのはこういう分析なんだよな!」と思って夢中になって書いていたのですが、皆さんの他の論文と並んで収めていただけたことで、いまこれが必要と思った理由は、さまざまな好きを表す言葉として恋愛という語を拡張的に使っていく必要があると思っていたので、その下準備のために、これまで「恋愛感情」と呼ばれてきたものを分解し、具体的にどのような感情的特徴を恋愛と呼んできたのかを特定しようとしていたんだなーということが、わかってきました。)

 

0. 恋愛をどう定義すれば、うまく分析できるのかという問題

 「恋愛という時、それは何を指しているのかを明瞭にすべき。規範なのか、実際の関係やコミュニケーションなのか、行動なのか、感情なのか」というような内容のことを社会学者が言っているのを時々聞いてきました。聞くたびに「たしかになー」と思うと同時に、「でもそれらが絡み合って成り立っているのが恋愛という社会現象なのに、それらをブツ切りにして恋愛を定義してみたところで、分析がうまく行く気がしないんだよなぁ」と、なんとなくぼんやりとずっと思っていました。*1

で、ひらめいたのです。以下の3定義で整理すると、恋愛をめぐる社会学的な議論がけっこううまく行くのでは?(少なくとも既存研究をうまく整理することができるのでは)と。

では、いってみましょう。

1. 定義1:恋愛とは「出会い」のこと

 森山至貴論文(第8章)と永田夏来論文(第2章)はともに、恋愛とは性愛相手や結婚相手との「出会い」のことであると定義して議論を始めている。森山論文は、ゲイカルチャーで培われてきた性行動が異性愛者において規範化されてきたものとは異なっていることを指摘した上で、「恋愛」という語を用いることを避け「出会い」について論じると述べて、マッチングアプリでの「出会い」についての分析を行っている。

 永田論文も、恋愛を「出会い」と定義している点で共通している。こちらは「結婚相手」との「出会い」で、その「出会い」方の日本における歴史的変化を整理している。

 これらは、「世に言うところの恋愛」を性愛や結婚の相手との出会いとして定義して議論していることがわかる。すなわち、「恋愛」とは「性愛相手や結婚相手との出会い(マッチング)」のことであるというのが定義1である。

 木村論文(第4章)、西井論文(第9章)、齋藤論文(第3章)、大倉論文(第5章)も、恋愛=出会いという定義に基づいて、恋愛相手との出会いの場でのコミュニケーションを分析したものと言える。木村論文は、恋愛に特徴的な行動としてのデーティング*2についての1980年代の記述であり、高度消費社会の中での消費文化と結びついた「恋愛至上主義精神主義教養主義的な側面が強かった日本の1920年代の「恋愛至上主義」と比べて、1980年代の恋愛至上主義は性的快楽や消費的蕩尽と結びついていたという特徴がある)の規範を批判的に分析したもの。

 西井論文は、マッチングの場でのコミュニケーション齟齬について新たな光を当てたものであり、斎藤論文は、被差別部落出身者の恋愛における差別という問題を論じたものである。大倉論文は、現代の恋愛離れと呼ばれる恋愛という関係やコミュニケーションに参入しない要因として、恋愛の優先順位の低下があるということを実証したものである(これはけっこう衝撃的な数字。もっと話題にすべくあとでツイートしよう。男性の方が恋愛の優先順位が高いという結果も興味深い)。これらの議論はいずれも、さしあたり「恋愛=出会い」という定義を前提として共有した議論であると整理できるように思う。

 

 

定義1と定義2
2. 定義2:恋愛とは出会いから始まる親密な関係の深化(変化)のこと

 それとは少し異なる点に光を当てているのが、二者間の関係の深化(変化)に光を当てて「恋愛」を捉えているものである。大森論文(第6章)と府中論文(第7章)はともに、恋愛結婚規範を行為者・当事者たちがどのように意識して行動しているのかをインタビュー調査から明らかにしている。ここでは、「結婚という目的」に向けた関係形成と深化のことを「恋愛」と呼んでいる。すなわち、恋愛とは出会いから始まる親密な関係の深化(変化)のことであるというのが定義2である。

 この定義のもとでは今後さらに、結婚を決めたカップルに対して、結婚を決めるに至るまでの決定要因や、どのようにして関係を深めてきたのかなどを調査するといった研究もありうるだろう。

 「結婚」をゴールとしなくても、長期的に持続している親密な関係性の多様なあり方を調査によって明らかにして行くことは、私個人としてはけっこう重要なテーマなのでは、と思っている。(ここ数年、色々な人に「多様な持続的な親密な関係を築いている人のインタビュー調査をしたい」と言っているところ) 

 ・心理学のSVR(stimulate-value-role)理論とかが、まさに時間経過による関係の変化に焦点を当てたものとしてある。

 

3. 定義3:恋愛とはさまざまな「好き」のあり方のこと

 最後に、恋愛が持つ一定の質的特徴に着目し、その特徴を有するさまざまな「好き」のあり方を包摂的に指すものとして「恋愛」という語を使う用法が見られる。ガチ恋について論じた上岡論文(第10章)やフィクトロマンティックについて論じた松浦論文(第11章)である。高橋の第1章も、恋愛感情を分解し、どのような感情の組み合わせが「恋愛」と呼ばれてきたのかを論じつつ、「規範的な恋愛結婚」のあり方を論じているように見えるスタンバーグ脱構築的に読んでいくということをやっている。

 すなわち、恋愛とはさまざまな好きのあり方を含んだ包摂的な概念であるというのが、定義3である。

 性愛や結婚という目的のための「出会い」や、特定の他者との「関係深化」に焦点を当てるのではなく、特定の人やものに対する強い感情や志向性、意識に焦点化している点が、定義1、2とは異なる定義3の特徴である。

 このような恋愛概念の使い方(定義・用法)は、生涯未婚率が高まり、結婚の意思がない人も増えてきた2000年代以降の社会的変化に即した新しいものと言えるように思われる。少なくとも、1980年代の「オタクか新人類か」という議論の枠組みにおいては、オタク的な「好き」を「恋愛」と呼ぶ用法は一般的ではなかった。

 定義3は新しいので、新設することの利点をディフェンシブに論じた方がいいだろう。定義3を取ることの利点は、必ずしも対人的な性愛や長期的なパートナー関係(結婚を含む)を目的としない多様な「恋愛的経験」を分析対象として扱っていくことができる点にある。これまで特権化されてきた恋愛結婚と同等に、周縁化されてきたさまざまな好きという感情や経験を捉えて行くことができる点も定義3の利点だ。

定義3

「恋愛」経験とは、上記の図のようなさまざまな好きが重層的になって成り立っているという理論モデルが立てられるような気がしている。

 

 

続きはこちら。

ytakahashi0505.hatenablog.com

次の記事では、この3つの定義で整理する場合、既存の恋愛に関する研究はどう整理できるか、そして今後どのような恋愛研究の発展可能性があるかについてまとめます。

 

*1:ちなみに、上記のうち社会学の質的研究では、規範=文化(パーソンズのシステム論的には規範=文化となる)やコミュニケーションが主要な分析対象になり、量的研究では行動が主要分析対象になり、「感情」は取りこぼされがち。恋愛の感情を研究するというと、心理学的すぎて社会学っぽくないという理由で、社会学内ではあまり高く評価してもらえないという傾向がある、科研費とかもこの3年頑張っているけど全然取得できない

*2:これは、二人きりで外出することだけでなく、それを含めた一連の行動や関係形成、コミュニケーションを含む概念。あ、ただし、木村さんはデーティングという概念を使って議論しているわけではないが!