ポストフェミニズムに関するブログ

ポストフェミニズムに関する基礎文献を紹介するブログ。時々(とくに大学の授業期間中は)ポスフェミに関する話題を書き綴ったり、高橋幸の研究ノート=備忘録になったりもします。『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど :ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(晃洋書房、2020)、発売中。

女性/男性ステレオタイプ

レヴィナスの二つの正義(責任)(現代思想論文で十分に議論を展開できなかったけど、大事だと思っていること)

『現代思想』(2021年9月号)の「ジェンダー平等な恋愛にむけて」という論考で、紙幅と論旨の関係上、私はレヴィナスの女性論を「セクシズムである、以上」としてぶった切ってしまったのですが、実際には、レヴィナスはその女性論に限って言っても重要な思想…

GICセミナーでの講演内容のまとめ(高橋幸)

昨日の私の話を、骨格だけ取り出すと次の2点にまとめられます。 (1)ジェンダーニュートラリティを基本とする雇用機会均等法の原則と、ダイバーシティ(ジェンダーによる違い価値創造の源泉として使おうとするもの)は、原則レベルでの齟齬がある。それゆ…

恋愛の主客のジェンダー非対称性の論理的前提となっている「女性は存在そのものとして価値がある/男性にはそのような価値はない」というジェンダー非対称性についてのあれこれ

ytakahashi0505.hatenablog.com の続き。恋愛においてはなぜか男性が「手を出す」/女性が「手を出される」というように、男性が主体で女性が客体であるかのように表現されるという社会的事実があるということを見てきました。これがどういう意味論をなして…

恋愛に性別役割は必要か? 

1 なぜ「男は『手を出し』、女は『手を出される』」という慣用表現が成りっているのか ジェンダー論関連の授業を大学やっていると、「異性愛的な恋愛や性の場面でよく言われる『手を出す/手を出される』や、『お持ち帰りする/お持ち帰りされる』という主…

認識的不正義:「表象はなぜフェミニズムの問題になるのか」(小宮友根)(基礎文献4)の読解と考察

1.認識レベルの不正義 websekai.iwanami.co.jp 上記の小宮論考は、私たちがいま使っている言語体系や思考枠組みにおいて、女性に対する暴力や抑圧を言い表す言葉が不十分であるという「認識的不正義」があるということを論じたものです。 ・小宮さんが「コ…

【#シンこれフェミ 3-1】ASAに見る、広告における性別ステレオタイプ表象の自主規制

1. 社会における表現の問題に関しては、「規制すべきか否か」をバトっていても、あまり意味はありません。「表現の自由」と「人権保障」の対立が起こったときに本当に議論すべきことは、表現のインフラを具体的にどう設計していくのか(既存の制度のどこを…

【#シンこれフェミ 3-2】公的広報におけるジェンダー表現ガイドライン策定の経緯と現在:広告規制に関するこれまでのジェンダー論の議論1

90年代後半に、国及び地方自治体の行政機関における広報ガイドラインが策定され運用されてきた経緯がざっくりとまとめられている論考として、ジェンダーの観点からメディア論研究をしてこられた大家・諸橋先生の以下のような論考があります。 www.koho.or.jp…

女性の男性に対する敵対的/好意的セクシズムについて

【論文紹介】阪井俊文, 2007, 「セクシズムと恋愛特性の関連性の検討」,『心理学研究』第78巻,第4号:390-397. セクシズムとは「人を性で区別すること」くらいの意味であり、性差別(sex discrimination)とは異なります。 敵対的セクシズムや好意的セクシズ…

現在「女性の性的客体化」を私たちはどう論じていくべきなのか

「全ての女性が、性的客体化によって傷ついている」という言い方には、ちょっと無理がある。「性的客体化」という概念そのものをぶち上げて流通させるところから始めなければならなかった1970年代には、そういう言い方も戦略としてありだったが、現代ではも…

好意的性差別について

性差別(sexism)には、「敵対的性差別」だけでなく「好意的性差別」もあるということを述べ、この二つを組み合わせた「両価性性差別尺度( Ambivalent Sexism Inventory、ASI)」を開発したのは、Peter Glick & Susan T. Fiske(1996)であります。 Peter G…