ポストフェミニズムに関するブログ

ポストフェミニズムに関する基礎文献を紹介するブログ。時々(とくに大学の授業期間中は)ポスフェミに関する話題を書き綴ったり、高橋幸の研究ノート=備忘録になったりもします。『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど :ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(4刷, 晃洋書房, 2020)、『離れていても家族』(亜紀書房, 2023)、『社会学の基礎』(有斐閣, 2024)、『恋愛社会学』(4刷, ナカニシヤ出版, 2024)発売中。

大学の「社会学講義」をどういうスタンスで構成するのがよいのかについて考えた

地方の私大に来て、2年目。人文社会科学のさまざまな教員が集まって一つの学部を形成している中で、「社会学」の教員は私ひとりという状況。

これまでは首都圏の社会学部の中で社会学を教えることが多かったので、「社会学」なるものの解説は他の社会学者に任せた上で、自分はいかに尖った面白い社会学を提示するかに注力してきました。が、こちらではもうちょっと「(一般的に)社会学者はこのように分析しています」「社会学ではこう考えます」というふうにある意味、権威主義者」っぽく喋ったほうが伝わるな(悲しいことに)という印象を持っています。

地域社会向けの講演も多いので、そうすると、なんかもう本当に細かい点は、はしょって大雑把にしゃべる必要があり、大雑把に喋っても面白い(新しい!)と思ってもらえる話をするには、それなりのコツと訓練が必要だなーとも思っています。研究論文を書くのと、地域社会仕事をするのとは、別ベクトルの力を要するものだなぁ。

近況でした。

 

さて、

小中高の学習指導要領では、新しい能力観である「生きる力」を育てるための教育が進んでいます。生きる力は、ということで、OECD DeSeCo(Definition
and Selection of Competencies)プロジェクトが言うところのキーコンピテンシー(主要な資質・能力)です。

具体的には、こういうことが目指されています。

で、左翼イデオロギーの人たちだと、こういう「新しい能力観」とかに対しては、ひとまず批判する立場から入るけど、この数年間、この新しい能力について考えてきた結果、私としては、可能ならばこういう目指されている方針に沿った社会学講義をしたら良いんじゃないかと思い始めました。

で、まぁ先入観なしに考えれば「一つ一つの知識がつながり、「わかった!」「おもしろい!」と思える授業」とか「自分の学びを振り返り、次の学びや生活に活かす力を育む授業」を目指すことそれ自体は良いような気がするのです。できるならやってみればいいんじゃないか?

 

私自身が受けてきた社会学講義の授業は(まぁ社会学に限らず)、基本「わからない。専門用語がポンポン出てきて、なんとなく全体がつながっているんだろうことは予想できるけど、そのつながりはよくわからない。でも、なんか好奇心を掻き立てられるので、色々自分で調べてみたらちょっとずつわかってきた」みたいな感じでした。「大学の授業とはそういうもんだ!先生が答えを与えてくれると思うな」みたいなところがありましたよね。

 

しかし、この考え方を変えていって「わかる、面白い授業」をできるようにアップデートしたほうがいのかもしれないなと思いました。

・小中高教育と大学教育は別で、大学はもっと批判的な知をもつ人を育てる教育をすべきということはわかっています。が、今の環境(地方私大)に適応してなんとか毎週の授業をしようと思うと、そう言っていられないというのが現状の素直な気持ちです。

この心境の変化は、こちらに来たからだなぁーという感覚はすごくあります。たぶん、東大とかで授業をやっていたら、こういう方向には舵を切らないと思う。だけど、VUCAな(軍事用語だから使いたくないんだけど!)時代の大学生に向けた社会学の授業としては、そういう方向にちょっと舵を切ってみても良いかもしれないと思いました。以上。