ポストフェミニズムに関するブログ

ポストフェミニズムに関する基礎文献を紹介するブログ。時々(とくに大学の授業期間中は)ポスフェミに関する話題を書き綴ったり、高橋幸の研究ノート=備忘録になったりもします。『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど :ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(晃洋書房、2020)、発売中。

ジェンダーから見るセカイ系:戦闘少女の登場と少年の受動性

あるところに「本企画」として提出した文章なのですが、そういえばもう半年くらいたったのに音沙汰がないので、ダメだったのかなーと思っているところです。なので、公開。

セカイ系ジェンダーの観点からきちんと(体系的に)分析してまとめたものはなかったので、今やっておかないと、このまま過ぎ去ってしまうのではないかという危機感を持っています。

この内容、いつかどこかに書きたいと思っていますm(_ _)m。

 

タイトル:ジェンダーから見るセカイ系――戦闘少女の登場と少年の受動性――

カテゴリ:評論・批評

 

内容紹介(300字)

 戦闘能力としても精神的にも弱い男性主人公を描いたセカイ系作品をジェンダーの観点から検討する。

 圧倒的強さを誇る戦闘美少女は、〈戦う男/守られる女〉というこれまでの性別役割の反転を象徴する。セカイ系は、戦闘美少女である「キミ」と無力な主人公「ボク」の恋愛関係にセカイの命運が託された物語である。性別役割反転によって、男らしさ/女らしさはどのような形をとるようになり、どのような地点にたどり着いたのか。戦う役割を失った少年の不安と戦い始める少女の不安、両者の間に結ばれる関係を丁寧にたどりながら明らかにすることが本書の目的である。本書は、ジェンダースタディーズの副読本の位置づけを獲得することを目指す。

 

 

目次案

序章

第1章 戦闘少女と少年の受動性

1.戦闘美少女像の確立

2.男性のフェミニズム受容第一世代としてのオタク第一世代

3.80年代に登場した男性の受動性 

 3.1.オタク第一世代の受動性

 3.2.村上春樹作品の主人公の受動性

4.セーラームーン型戦闘美少女の登場と少年の受動性

5.セカイ系作品に見られる少年・青年の受動性

 5.1. 痛みを分有する存在としての少年・青年

 5.2.自己の空虚さという問題の残存

 5.3.セカイ系主人公が見出した自分の存在意義、男性アイデンティティ

6.まとめ

 

第2章 戦うセカイ系少女たちの不安――王子様願望の行方、女の子は王子様になれるのか問題

 1.はじめに

 2.男性たちにおける王子様願望の挫折

 3.王子様になることを目指す少女ウテナの困難と可能性

  3.1.桐生冬芽との争い

  3.2.鳳暁生との争い

 4.まとめ 王子様願望の今後

 

第3章 「行動する保守」にとってのセカイ系

(・・・第3章以降は検討中)

 

 

はじめに

 男性学杉田俊介(2016:15)は、男性性の問題として「男性の弱さ」という論点を挙げ、「男性の弱さとは、自らの弱さをみとめられない、というややこしい弱さなのではないか」と述べている。弱さを抱えているのにそれを認められず、強い男であり続けることでしか一人前の男とは言えないと思い込んでいる点に男の生きづらさがあるというのが杉田の主張だ。これは、「今後はもっと弱い自分をさらけ出せるように心がけよう」というような個人の意識の持ち方次第で解決する問題ではない。女性よりも弱い男性という男性アイデンティティの形式が社会的に確立していないという問題である。

 この問題関心を踏まえて考えてみると、高い戦闘能力を持つ少女と弱い男性主人公との関係を繰り返し描いたセカイ系は、新しい世代の新しい男性性の可能性を包含していたのではないかということに思い当たる。主人公は、自分よりも高い戦闘能力を持つ少女が苦しみながら戦って死んでいくさまを見ていることしかできない。彼女の代わりに戦うことも彼女を助けることもできない無力さに苦しむ主人公は、それでもなお、「特別な存在であるキミ」に対する「ボク」としての男性アイデンティティを模索し確立しようとしている。「キミ」より弱い「ボク」の存在意義という問題に正面から取り組んでいるセカイ系は、ジェンダー論の観点からこそ論じられるべき作品群だ。