ポストフェミニズムに関するブログ

ポストフェミニズムに関する基礎文献を紹介するブログ。時々(とくに大学の授業期間中は)ポスフェミに関する話題を書き綴ったり、高橋幸の研究ノート=備忘録になったりもします。『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど :ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(晃洋書房、2020)、発売中。

「空洞な身体」に宿る憑依 ――中上健次の身体論――

 実は、私は一時期「もう研究者になるのムリかも、正規ポスト得られなさそう、物書きとして生きていこう」と思っていた時期があって、その頃、『群像』の新人評論賞に応募したことがありました。30代中盤、2010年代のこと、応募したのは2018年春のこと。

 

f:id:ytakahashi0505:20200619161732j:plain

群像2018年10月号より引用

 で、ひそかに一次審査を通過していたりしまして、でも第二次は通過していないし、最終審査にも残っていないわけで、うん、なんていうかちょっと恥ずかしい黒歴史?かなーなんて思っていたのだけれど、最近、読み直してみたら、それなりに大事なこと書いてるじゃん!と思ったので、ここで公開しといていいですか。(引用ページ番号とかも、ちゃんと全集から引いていて、すんごい労力かけてやったんですよ、そういえば、忘れたけど。)

 

 まぁ、冷静に考えると、社会学者として食っていくよりも、文芸評論家として食っていく方が難しいんだけどね(苦笑)。

 人生に行き詰まり、「私はなぜ貧乏暮らしをし、将来の不安(奨学金の借金とか、老後とか?)に怯えながら生きざるをえなくなっているんだっけ?」「10代後半くらいから始まってこの20年ぐらい、私は何に駆られ何にこだわって生きてきたんだっけ?」ということを考えたら、「これはもう死ぬ前に文芸評論書かねば!」という結論に至ったという(←論理展開上の飛躍があることは、本人も自覚しています)。この中上論は、構想から完成稿の仕上げまで3年半から4年くらいだったと記憶しています。

 高校生の頃、私は文芸評論家になりたいと思っていました。小林秀雄とか柄谷行人とか、吉本隆明とかにけっこう憧れていて。あるでしょ、あの憧れと自己同一化と恋愛感情っぽいのが混ざったやつ。どんだけ渋い女子高生だって話ですが。で、そのときの気持ちとか、その時に考えていたことって何だったんだっけというのを一度まとめておこうと思って、中上健次について書きました。

 中上健次については、この人の「エネルギーの過剰さ」みたいなものが妙に気になっていました。中上のエネルギーの過剰さ、どうしようもなさ、トリップせずにはいられない感じ、つねに何かに急き立てられている感じがちょっと自分に似てるなと思ったし、それは何かすごく切実なものに思えた。それは、現代だと「自分の中にある、自分でもどうにもできないなにか」とか「生きづらさ」という形で言語化されるもので、あぁそうそう本谷有希子がよく描くテーマに通ずるものでもある。

 以下の論考では、このテーマを、中上健次作品の主人公に見られる身体論として、展開しています。

 中上は、自分の身体にはぽっかりと穴があいてしまっていて、がらんどうだという感覚を持っている。日常生活にこびりつくようにある空虚感を、ある種の研ぎ澄まされた「身体感覚」として持っているのが、中上作品の主人公の特徴で、身体のなかの空洞に何か(だいたいは草ずれの音とか蝉の声とかジャズ音楽とかの、「音」であることが多い)が満ちてくるとか、欠けていくとか、また空っぽになってしまったとかいうような形で、主人公の身体感覚が書かれ、物語が展開していく。この身体感覚の描写を読んで、読者もまた身体的に共鳴できてしまう。これは、心理主義的な「共感(シンパシー)」とは違っているという点が面白いし重要だと思う。

 ついでに言っておくと、このような身体の即物性のために、中上の書くエロシーンが全然エロくないのも、面白い点。エロシーン多いんだけど全然盛り上がらなくて、むしろ日常の倦怠感がよみがえってくるというこの不思議さね…。かつて上野千鶴子は中上のエロシーンを「動物的」と表現していた、納得。動物が交尾しているだけだから、エロくはないということだろう。ただし、私は「動物的」ではなく、「即物的(sachlich)」と言った方が的確だと思っている。

 それから、「空洞」が満たされたときに、その身体は陶酔し、そのなかで主人公は「真理」とでもいうべきものを見出している。陶酔の中でつかむ真理みたいな、真理のあり方。その真理は、陶酔しているときにしか見えていなくて、陶酔が終わるとまた色褪せてしまい、「真理」でなくなる。理性の外、狂気の中でつかまれる真理、シラフの外、陶酔の中でのみ確信される真理という、真理の様態が、個人的にはとても興味深いと思ったのでした。

 このあたりが中上作品の醍醐味であり、その意味で現代でもなお読み返す価値がある、と私は考えています(この中上の空虚な身体の議論はおもに3.3.に書いてありますので、ここだけ読みたい人は、以下すっ飛ばして3.3.を読むといいと思う)。

 

 その他にも、柄谷との関係で言えば、被差別部落出身者として生きて、被差別部落を「文化」としてポエジーに昇華した中上が、市民社会の「他者」の身体を生き、他者化=女性化される様も興味深いなと思っていた。

 中上自身はすごく男らしい男だが、文学界隈の中での他者化=女性化されているところがあり、それと中上自身のひどい家庭内暴力とを結びつけて考察することは重要なのではないかとかいうようなことを、この論考を書いていた当時、考えていた。(「自分の中の自分でもどうにもできない何か」を暴力として発動させて表現するのは、とても男性的なあり方だ。ちなみに、女性は「自分の中の自分でもどうにもできない何か」を「ふわふわと踊る」という形で表現するのが最近の定番だということに昨日気づいたのだが、どうだろうか、例えばポンジュノの『母なる証明』、映画版『生きているだけで、愛』、映画版『夜空はいつでも最高密度の青色だ』など)。

 だから、この論考の後半は、過剰なエネルギーが行きつく家庭内暴力の話になる。ただし、うーん、ここらへんの家庭内暴力の話の処理は、そこまで完璧にうまくいっているとは言えないかも(文学界隈で必ずしも他者化されていたとは言えない江藤淳家庭内暴力の話とも結びつけて考える必要あるしな)。

 

 というわけで、全2万4000字程度。ちょっとどころじゃなく、長いけど、貼り付けておきます。

 

 「空洞な身体」に宿る憑依 ――中上健次の身体論――

1.はじめに

 中上健次は、虐げられて亡くなっていった人々の憎悪や怨念にとり憑かれ、その言葉を書こうとした作家だった。戦争で亡くなった人々の無念さではない。日常的な社会の差別によって虐げられた人々が、この世に残していった恨みや羨み、無念さである。

 1969年成立の同和対策事業特別措置法に基づく「同和政策」によって公営住宅が建てられ道路が整備されて、被差別部落という集落の境界線が消されていった。「部落解放」「差別解消」の名のもとに、虐げられた人々の存在そのもの、差別があったことそのものが忘れられようとしていた。この変化のなかで、中上は被差別者として生きて死んでいった人々の、成仏できずに熊野の地を漂っている「地霊」に「憑依」された。

 憑依された者の語りは、聞く者を異界に連れ出す。異界に入り込む感覚は、例えば満開の桜の木の下に入り込んでしまったときのものに近いと言えばわかりやすいだろうか。西洋の美的感性は、ひとつの大輪の花をあたかも額縁に入れるようにして鑑賞する。それに対して、日本には、小さな花が群れをなして咲く桜に「包み込まれる美」を見出す感性があると、佐々木健一は対比的に論じている(1。包み込まれる美という美的経験形式が日本にしかないということはなさそうに思えるが、残念ながら私はその詳しいところを知らない。ただ事実、例えば坂口安吾が「桜の森の満開の下」(初出1947年)で明瞭に描き出したように、満開の桜並木の下に立てば、ものを怖れぬ大きな山男でもいっときの狂気に陥るのだということは日本語圏の文化的コードとして確立している。

 中上の語りが読者を異界へ誘い出すのは、彼が自分に憑いている「熊野の地霊」の言葉を語ったからである。念のため付け加えておくが、中上が書いた被差別部落という対象の性質によって、中上の作品が読者を異界へ誘い出すのではない。つまり、被差別部落が異界なのではない。中上の憑依という方法によって紡ぎだされる語りの、そのありさまによって読者は異界へと連れて行かれる。

 ここでは、憑依が中上の文学の方法であったと位置づけ、憑依という方法の可能性と限界について考えてみたい。中上の憑依は、『千年の愉楽』をはじめとする比類のない「美しい」物語を可能にした(2.)。憑依という方法を支えたのは、「空洞な身体」という身体感覚のあり方である(3.)。空洞な身体に宿る憑依が、中上をどこへ引きずっていったのかを見ていくことで、憑依という方法の限界点も明らかになる(4.)。

 差別は、わたしたちの美意識や「正しさ」の感覚、この世界の中で自分がどのような位置を占めており、人からどのような扱いを受けるのが妥当なのかという包括的な世界-自己了解と密接に絡んでいる。差別是正に対する抵抗が根強くあるのは、日常生活レベルの常識がぐらつくことを人々が望まないからだ。差別に対して、小説家・中上健次がどう戦ったのか、どのような問題に直面し、どのように解き、どこで躓いたのか、そして私たちはここから何を学べるのかについて考えていきたいと思う。

 

2.憑依

2.1. 憑依という方法

 中上の「憑依」とは比喩的な意味であり、文学上の方法論である。

 民俗学的な知見によれば、憑依にはいくつかの種類があるが、ここでは2つに分けて整理しよう。ひとつは、シャーマンや巫女のように、ある個人に突発的に生じた特殊技能としての憑依である。シャーマンは、病人にとり憑いている霊の言葉を語ったり、死者の霊を口寄せしたりする。中上の「憑依」はこれに範をとったものと思われる。中上は、熊野の地で虐げられて死んでいった人々の恨みや怨念――これを中上は「熊野の地霊」と呼ぶ――にとり憑かれた「病人」であり(2、憑きものの言葉をうわごとのように語る「シャーマン」でもある。現実には、この二者が同一人物になることはないので、中上の憑依は比喩である。

 よく知られているもうひとつの憑依として、特定の家筋につく「憑きもの」がある。憑かれた家を「憑きもの筋」という。憑くのはオサキ狐、犬神、猿、蛇などの動物の霊が多い。これらは、ザシキワラシや山姥のように「家」にすみつくのではなく、家族成員にとり憑き「血」を通して伝えられると考えられている。例えば、犬神筋(犬神統ともいう)から嫁を貰うと犬神が憑いてくるので、嫁ぎ先の家でも犬神が悪事を働かないよう丁重に祀らなければならない。村に不吉なことや不幸が起これば、犬神が悪さをしていると恨まれる。このため、憑きもの筋の家筋は結婚や付き合いを忌避されがちだった(3

 憑依の論理が支配している場では、何かにとり憑かれてあることは、その家を差別する正当な理由となった。つまり、憑依は差別を生み出し維持する原理のひとつである(4。このように見てくると、被差別部落にルーツを持ち差別を経験してきた中上が、憑依を自らの方法とするに至ったのは、たんなる偶然ではないことがわかる。中上は憑依を徹底することで、現存の差別とは異なる論理を見出し、差別を内破しようとしたのである。

 憲法のもとでの平等といった近代的な正義の立場から差別撤廃を主張するという立場ではなく、中上は古い習俗の思考様式を徹底的に生きることで、差別を乗り越える新しい論理を探ろうとした。

 

2.2. リュウノオバの憑依による語り

 憑依という中上の文学の方法は、『千年の愉楽』(1982)をはじめとする美しい熊野の物語をもたらした。

 『千年の愉楽』の語り手は、親よりも先に子どもを腕に抱き上げる路地の産婆・オリュウノオバである。オリュウノオバは老衰して死を迎えようとしている床にあって、夢とも現(うつつ)ともわからぬものを眼前に見ながら、路地を語る。路地の歴史を口承する人間の一人でありつつ、同時に霊魂のような存在でもある。「見ようと思えば何もかもが見えたし耳にしようと思えば点からの自分を迎えに来る御人らの奏でる楽の音さえもそれがはるか彼方、輪廻の波の向こうのものだったとしても聴く事はできた」(『千年の愉楽』「天人五衰」, KN5, 102)。さらに、オリュウノオバ自身が見なかった路地の始まりまでも「見る」ことができている(5。オリュウノオバは、路地の霊に憑依された語り部だといえよう。

 オリュウノオバが路地の中でもとくに気にかけているのは中本という「高貴でよどんだ血」を引いた男たちだ。中本が「よどんだ」血筋であることは、その一族に「獣の蹄のように二つに分かれた左手」を持つ「弦オジ」がいることによって、証(あかし)立てられている。「弦オジ」の手は奇形であるというだけのことだが、かつて「四」の数字で差別されてきた被差別部落において「獣の蹄」のような手は忌み嫌われ「よどんだ血」の因果であると意味づけられている。また、「高貴な血」についてだが、家系図などの文字に書かれた歴史が残っているわけではないので、本当に高貴な血筋であるのかどうかは実は誰にも分らない。だが、この地で虐げられてきた人々が口々に伝え継いできた貴種流離譚の物語の主人公にピタリとはまる、この世のものとは思えぬ美しさと男振りを「中本の一統」は備えている。これが、彼らを「貴種」と人々に信じさせる力となっている(6。中本の男たちは“sacred”すなわち、この世の穢れを一身に受けて昇華させる犠牲であり、ここにこの世のものとは思えぬ美しさが見出されている。

 

半蔵はちょうど一気に二十五の歳で開いた花のようで、路地にこんな風な若衆がいままでいただろうかと思うほどの男ぶりが群を抜いている。どこへあわてて行くのか坂道を駆け上がってひょいと思いついたように家の中をのぞいて、坂道を駆けて来たから呼吸の音が荒いのだと分かっているのに、「オバ」と言って立った半蔵にオリュウノオバは不安になるのだった。かさの多い髪が風に吹かれているだけなのに一本一本が風に応じて溶けてしまうような愉悦を味わっているようで、半蔵が路地にもありこの山にも濃密にある人の意を越えた力のようなものに狙われ、もみくちゃにされなぐさみ物にされるのではないかと怖れた。(同上「半蔵の鳥」, KN5, 21)

 

 オリュウノオバは半蔵の「光が濃く輝く」(同上「半蔵の鳥」, KN5, 26)ほど、そこに不気味なものを見てとる文化的な感受性の持ち主である。実際、オリュウノオバが怖れていた通りに、半蔵もまた「二十五のその歳でいきなり絶頂で幕が引かれるように」(同上「半蔵の鳥」, KN5,29)死ぬ。他の中本の若い男も、半蔵と同じように、若くして亡くなっていく。この反復をオリュウノオバは「大きなものの慈悲」であると述べる。

 

亡びる者は亡び増え続ける者は増え続けるというのが仏様の慈悲だというのなら、男らが何人も早死にしている中本の一統が緩慢な眼にしかと見えない速さで一統の血が根絶やしになろうとしているのならそれもこの世をおおう大きな者の力の慈悲だろうが、小さな仏様が何のせいか亡びてゆく血を持って生まれてきたのかと思うとどう手のほどこしようもないのに、あわれでしようがなかった。(同上「六道の辻」, KN5, 52-53)

 

 オリュウノオバの言う「大きなものの力」とは仏様の慈悲の力のことで、人間が「あぶくのように」生まれ増えていくこと、人間が生まれては死んでいくという反復、そしてある「血」を引いたものが、同じようにその「血」に苦しみながら、その「血」を反復して生きて死んでいくという宿命のことである。彼女は、この人間の生命と血の反復という宿命を、あるがままに肯定する。「若い時分から女らが孕む度に、父なし児でも誰にも恥じる事も要らぬ、たとえ生れ出て来た者が阿呆でも五体満足でなくても暗いところに居るより明るいところがよい、あの世よりこの現し世がよい、滅びるより増える方がよいと説いてまわり産せた」(同上「天人五衰」, KN5, 104)。

 このオリュウノオバの肯定の論理は、最終的に、中本の一統がどんなに残酷な罪を犯そうと、かれらの「血」がそうさせるのであり、大きなものの力によってそうとしかなりえなかったのならば、かれらに「罪はなかった」という地点に行きつく。

 

(三好は)どいつもこいつも気が小さくしみったれて生きていると思い、体から炎を吹きあげ、燃え上がるようにして生きていけないのなら、首をくくって死んだ方がましだとうそぶいた。

リュウノオバはその三好の気持が分かりすぎるほど分かった。生きながらえ増え続けボウフラの如く生命がわきつづける事が慈悲なら空蝉のように生れて声をかぎりに鳴いて消える生命も慈悲のたまものだった。それなら声を限りに鳴いて(ママ)死んでいく赤ん坊がどんな状態で生れても無垢なように、人を殺しても悪かったと思わない三好は罪に気づかないだけ無垢で、たとえ血の中で女を裸にしてつがるという人の考えられそうもない事をやろうとしての事でも、三好に罪はなかった。(同上「六道の辻」, KN5, 61-62)

 

 オリュウノオバは、「血」の反復を「大きなもの」の力だと思うがゆえに肯定する。

 『千年の愉楽』の美しさの要因はいくつかある。オリュウノオバの語る「中本」は、「賤」であるがゆえに「聖」であるというマジョリティにも受け入れられている文化的コードを備えている。また、すべての悲惨な出来事や不幸をすべて、オリュウノオバが受け入れて肯定することで、救済された美しい物語になっている。語り部であるオリュウノオバが路地の霊に憑依されたものであるがゆえに、語りを聞く私たちは異界に連れ出され、ある種の美的経験をするから、でもある。

 

2.3.中上のルポに見る地霊の憑依

 『千年の愉楽』における憑依された語りの完成の背景には、中上自身が憑依されて語るという形式の積み重ねがあった。中上は、1977年から78年に紀州半島を回って丹念に人々の話を聞くという旅を行い、ルポルタージュをまとめている。このルポは小説作品ではない。中上が等身大の本人として登場している。

 このルポにおいて、中上は熊野の人々の話を聞きながら「地霊」の声を聴こうとしている。「紀伊半島紀州とは、いまひとつの国である気がする。まさに神武以来の敗れ続けてきた闇に沈んだ国である。熊野・隠国(こもりく)とはこの闇に沈んだ国とも重なって見える。その隠国の町々、土地土地を巡り、たとえば新宮という地名を記し、地霊を呼び起こすように話を聞くことは、つまり記紀の方法である」(『紀州:木の国・根の国物語』, KN14, 481-482)と序章で述べている。 

 実際、中上は行く先々で「地霊」の存在を感じ取ろうとしている。例えば、「被差別者」である「ゆきえさん」の話を聞き終え、その小さな家の外に出たとき、家の隣の檻にいた紀州犬を見ながら、中上はこう述べる。「その犬の姿から、峠に咲いていた漿液の色のような桜を思い出した。いや、ゆきえさんが呼び起こした地霊が自分の周りに在る気がした」(同上, KN14, 499)。だが、ここで気づくのは、中上が地霊を呼び起こすことに成功しているようには見えないということである。「ゆきえさん」の場面での「地霊」の登場はあまりにも唐突だし、話はここでプツリと切れる。その結果、たんに中上が紀州犬を見て桜を思い出したにすぎず、そこでわざわざ「地霊」と呼ぶ必要が感じられないものとなっている。

 「本宮」で話を聞き、「バクチ打ちの父親に、娘を紡績(工場労働)に出すことは、非道の事でも何でもない。その前借の金で、バクチをするのもひどいことではない。老婆の語る口調から父親を大きく許しているような娘の力、“妹の力”が読み取れる。大男の、バクチうちの、牛を負かすほどの力持ちのその父親を、老婆の中にある女の力が働いているゆえに、話を聞く私には救いのようなものがもたらされる。」(同上, KN14:559, ()内は、引用者による)と中上は述べる。だが、これは部外者ののんきで都合のいい解釈でしかないのではないかという疑念をぬぐえない。「吉野」では、セイタカアワダチソウばかりを見続けて、なんとかトリップのきっかけをつかもうとするが、うまくトリップしきれずに、なじみ深い母の物語空間に帰還する。「伊勢」では「宮川橋を渡り、伊勢に入ってから車の震動と先入観とで、催眠術にでもかかったようにぼうっと霊気のようなものが私の体の周囲にある」(同上, KN14, 605)というが、彼が霊気を感じるのは、自分の「先入観」によってであると書かざるを得ない。

 中上ひとりでトリップしたり、トリップしようとしたりしているのだが、読者はそれに着いていけない。つまり『紀州』ルポでは、読者が着いていけるような「憑依による語り」が発動しなかったのである。

 では、オリュウノオバの語りと、中上の紀州レポの語りを分けるものは何なのか。重要な違いは、物語という形式をとるか否か、そしてマジョリティ(差別者)にも被差別者にも受け入れられている文化コード――例えば「中本」は「賤」であるがゆえに「聖」である――を用いるのか否かの2点である。オリュウノオバは既存の文化コードに乗りつつ、それを裏返して被差別部落を称揚した。そのため皆にとってわかりやすい物語となったが、オリュウノオバの語りは容易に差別の維持・強化に転ずる危険性を持っている。

 それに対して、中上のルポは、被差別部落の人々を下位に置くのでも、オリュウノオバのように既存の差別の論理を裏返して被差別部落を称揚するのでもないかたちで、彼ら彼女らを書こうとした。『千年の愉楽』と紀州ルポは、中上が差別に対してとった二つの立場を表している。

 中上は、差別を孕む既存の文化コードとは異なるコードを必要とした。それは、自らが生き、世界を理解し、正しさや美しさについて判断し、何が信じられる真理であるのかを見極め、そして作品を書いていくために必要なものである。中上は天皇を頂点とし、被差別部落を穢れたものとみなす価値序列のコードをどうズラしていくのかという問題に直面していたし、同時に言葉は天皇によって統治されたものなのだということを深く感じていた。「天皇がコトノハ、文字という言葉によってこの国を治めている」(同上, KN14, 606)。天皇が統治する言葉を使いながら、言葉によって作られている既存の意味の網の目=文化的コードをずらしていくこと。この課題を達成しようとする中で、中上は独自の身体感覚に基づいた判断形式を磨いていったように見える。

 もちろん、私は「身体」が文化的な意味の網の目の「外」にあるとは思っていない。ときどき「身体」的反応は「意味」を介さないものと捉える人がいる。論理的思考を介さない瞬時になされる直観的・感情的判断は、おそらくその素早さによってであろうが、直接的で自分固有の疑いえない確実な判断であると捉えられることがある。しかし、反射反応などを除いて広い範囲のものは、深くそして高度に文化的に編み上げられたものである。私たちの感情が文化的に形成されるものだからだ。したがって、身体に依拠することで、既存の文化コード(意味の網の目)から逃れられるわけではない。

 だが、それでも、既存の文化の正統性や正しさ、美しさといった規範的な価値を承認することが、自分の出自や属性を劣位に置くことになるというジレンマに陥り、既存の規範的価値をズラしていかねばならないとき、自分独自の「身体的」な物事の確信の仕方は、自分が拠って立つ地盤として機能することもあるのではないか。少なくとも、中上の場合には、彼固有の鋭い身体感覚とその論理が、彼の思想の強さになったのではないかと思うのである。

 

 

 

3.「空洞な身体」

3.1. 中上作品の全体像の整理と、「秋幸的」人物について

 ここからは、中上に固有の、鋭い身体感覚の論理について見ていきたいと思うのだが、以下の議論の見通しをよくするために、ここで中上の作品の全体像について整理しておこう。

 作家の時期区分というのは、どの観点からどの作品を重視するかによって異なることが多く、大変に論争的なテーマである。とくに、いくつかの作品が同時進行していた中上の時期区分はなおさらであるが、議論の整理のためには必要であろう。

 中上が路地に対してどのように対峙したのかという観点から整理すると、中上の作品群は大きく次の3つに分けることができる。第一に、路地から遠く離れた東京で、路地周辺を生きた少年時代や東京での生活を書いた作品群である。破壊的衝動と焦燥感に駆られる少年を書いた短編が文学的には優れているが(「十九歳の地図」(1974))、この作品群のなかの代表作はと問われれば芥川賞受賞作となった「岬」(1976)、長編『枯木灘』(1977)、長編『地の果て 至上の時』(1983)からなる「秋幸」を主人公とした紀州サーガ三部作である。

 第二は、中上が頻繁に紀州・熊野へ帰るようになった時期の作品群である。本稿前節で見てきたルポルタージュ(1977年)から始まり、オリュウノオバの憑依の物語(『千年の愉楽』(1982))の完成を頂点とする。中上の実母をモデルにし、彼女を語り手にした『鳳仙花』(1980)もこの分類に属する。

 第三は、オリュウノオバ亡き後の、つまり路地が消えた後の「路地なるもの」を書いた作品から成る。代表作として『野生の火炎樹』(1985)をあげたいと思う。

この分類は、中上が「物語」という形式に対してどのように対峙したのかの違いにもなっている。第一の作品群では、「物語」の構築と破壊が繰り返された。紀州三部作は、いかに物語を発動させずに壊しつづけることができるのかを実験した小説である、と私は思っている。第二の作品群では、打って変わって路地を物語の形式を用いて美しく謳いあげ、第三の作品群では路地至上主義(エスノセントリズム)とは異なる新たな物語が模索されている。

 このように大まかに3つにわけられる作品群と並行して、継続的に短編集が出されている(『蛇淫』(1976)、『化粧』(1978)、『熊野集』(1984))。これらは、熊野の物語世界を書いた作品と、作家・中上健次の私生活を書いた作品とを交互に配置されている。作家・中上が熊野の山中に迷い込み、そこでこの世のものとも思われぬ存在に出くわす作品もあり、私小説的なものが物語世界と接続して混交することが目指されていることが見て取れる。

 中上は路地を舞台として作品を作ったため、自分やその周りの家族、親族をテーマにすることが多かった。主人公と作家中上本人が重ね合わされて見られがちという「私小説」的読解格子が適用されやすい構造にある。だから、中上本人をモデルにしたとみられる作品中の人物と、実際の作家・中上との異同といったことは研究対象となる事柄だろうが、私はそこには関心がない。作品として書かれたテクストだけに関心がある。

 中上作品に出てくる青年主人公のタイプを渡部直己は、大きく「〈秋幸的なもの〉と〈中本的なもの〉の二つ」に区別できると論じている(渡部直己, 『中上健次論: 愛しさについて』p.171)。このことは、中上作品のなかで象徴的な役割を果たす樹木が「夏ふよう」/「夏芙蓉」と厳密に書き分けられていることを指摘することで、論証されている。「秋幸的」な主人公は中上自身をモデルにしており、「中本的」な主人公は中上の「種違いの兄」をモデルにしている。事実、両者は身体的特徴が明瞭に異なっているので、作品中で容易に見分けることができる。「中本の一統」は、肌の色が白く、線の細い美しい肉体の持ち主であるのに対して、「秋幸的」な人物は「大きな体」を特徴とする。

 本節では、このうち中上をモデルにしたと考えられている「秋幸的」な主人公の身体感覚を見ていく。

 

3.2. 中上のテクストに表れる身体についての議論

 中上のテクストに見られる身体感覚の独自性については、すでに多くの論者が語ってきた。芥川賞選評から繰り返される「肉体労働者の文学」としての「肉体」に着目するものもあるが、本稿の議論においては、「外界のものを吸い込みやすい」という身体の性質を指摘している以下の二人の指摘が重要である。

 人類学者の中沢新一は、中上の身体を「音楽的な身体」とも、また聴覚器官が身体の奥深くに埋め込まれた「鯨のような身体」とも述べたあと、次のように論じている。

 

土や草や水が、まさに裸の物質として、彼の精神に侵入(ママ)をはたすのだ。彼の精神はその侵入してくるものにむかって、まるでやさしい女のように自らを開き、それを受け入れる。裸のままの荒々しい侵入者。それを受け入れた中上健次の女である身体は、恍惚として、快楽する。(中沢新一, 1995, 「音楽が書く」『中上健次全集5 月報2』)

 

 外界のものが直接、身体の中に流れ込み、身体はそれに満たされ、恍惚とし、快楽を感じるというのは的確な表現である。しかし、快楽による恍惚をすべて性的なものと捉えるのは短絡的だ。中上が書く主人公の身体が陥る陶酔は、性的陶酔とは異なっている。

 文芸評論家の渡部直己は、中上作品の主人公の、外界のものを吸い込みやすい身体を「植物」的なものとして説明している。

 

この「皮一枚」の表面は、多無数の気孔を持った半透膜を思わせてならぬのだし、その柔軟な膜が頭はおろか、目も口も耳も持たぬような存在の〈外側〉と〈内側〉とを分け隔てるようでありながら、分離ではなくむしろ両者の還流をこそ促す表面として、〈外〉がそのまま〈内〉へと流れ込み、〈内〉が〈外〉へと溶け出す植物的な「呼吸」を支えている(渡部直己, 「愛しさについて: 秋幸の皮膚(テク)呼吸(スト)」『中上健次論: 愛しさについて』p.46)

 

 渡部はここで、身体を覆う皮膚が半透膜のようなものだということを説明している。事実、中上が書く主人公の身体は明瞭に「植物」の比喩で書かれているので、私としても渡部の見解に異議はない。

 ただ、主人公の身体が「植物的なもの」であるとするとき、主人公たちの肉体が性交するものでもあるということを、どう位置づけることができるのか(渡部がその点をどう整理しているのか)を、私はよく理解することができなかった。私自身も、もう少し中上の性愛する身体の書かれ方を綿密に類型化したうえで整理、検討しない限り、まだ答えを出せそうにない。そこで、本稿では渡部の「植物的呼吸」という表現を用いずに中上の身体の論理を整理する。

 

3.3. 「空洞な身体」の論理

 中上は、自分の身体にはぽっかりと穴があいてしまっていて、がらんどうだという感覚を持っている。例えば、新宮の部落青年文化会のメンバーを前に、ぽつぽつと語り始めた中上は、次のように述べている。

 

自分の胸っていうか、腹っていうか、自分の中に空洞みたいな、穴ぼこみたいなのがあって、そこはこう、がらんどうで、ぼおっと燃えている。それが実感なんです。その何か燃えていることが、今ここで喋っていることも、東京でものを書いていることも、いろんなことがその自分の熱病みたいなもんで動いているんじゃないかと考えるんです。その熱病が一体、どこからでてくるか。つまりぽっかりと意味もなしに空いた、空洞みたいなものから出てくるんじゃないか。そういう気がするんです。(『中上健次と熊野』p.37)

 

 この身体感覚が作品中で明瞭に形象化されるのは、上記の講演と同時期に書かれていた中上版『宇津保物語』においてである(7

 「うつほ」(「うつを」とも)とは、岩や木などにできた空洞、ほら穴のことを指す。『宇津保物語』における「うつほ」とは、第一に、主人公仲忠が世の中から打ち捨てられた状態で母とともに暮らした北山のほら穴のことを意味する。

 

仲忠は北山の山中深く熊が寝ぐらにしていた空洞(うつほ)に幼い頃母と一緒に住んでいた。(『宇津保物語』「北山のうつほ」, KN12, 11)

 

 仲忠は、そのほら穴のなかで母に琴を習って育ち、或る高貴な人が北山を通りかかったことで仲忠とその母は救いだされ、京に住むようになる。高貴な血筋を受け継ぐ仲忠は、琴の名手として京でもてはやされるが、都での空虚な生活を送る仲忠の身体の内部に「うつほ」が宿る。「うつほ」とは第二に、仲忠が感じる空虚感、虚無感の意味でもある。

 

仲忠は十六で元服して五位となり、十八で宮中に入って侍従となり方々の公卿から婿にしたいといってくるほど右大将兼雅の子として羞かしくない身になった。確かに学問も出来るし、歌もよめる。しかし、仲忠は終日、廷にこもり庭を見、ぼんやりと耳に音を聴きながら、自分がその年になって胸の中にぽっかりと穴が開いてしまっているのを感じていた。(同上, KN12, 14)

 

 仲忠は、日常生活にこびりつくようなこの空虚感を、つねに体の内に抱えて生きている。身体の中にがらんどうの「空洞」があると感じているがゆえに、何かが満ちてくるとか、欠けていくとか、また空っぽになってしまったといった感覚が研ぎ澄まされていく。

 中上が書く主人公は、真理(正しさや美しさ、価値と言ってもよいのだが)を確信するとき、身体の「空洞」が満ちる感覚として表現される。空洞が満たされると、身体は陶酔し、そのなかで真理を確信する。

 仲忠が空虚さを感じずに済む唯一の場である「北山」を、京の中に見つけた場面を見てみよう。どのようにして、そこが「北山」であると確信するに至ったのか、その時の身体反応が重要である。

 

仲忠は都にいて、そこに北山を見つけたと思った。何枚も重ねた着物の奥、その体の奥が不意に熱くなった。踏みしめる草の音が耳にヒュンヒュンと震える琴の弦のように響く。仲忠の背丈ほどのび茶色に変色して茎についているよもぎの葉、まだ濡れたようにつややかな穂を出したばかりの青々とした尾花、草らの氾濫だった。音の氾濫だった。仲忠はその草の中を歩き、草の葉が自分の衣に触れ体に触れ、都に来て貴人らの中に入って暮らして以来、体の中に空いた穴に、いま草がつまり、氾濫する音がつまってくるのを感じた。仲忠の眼にそんなにも陽が濃く眩しく映ったことは久しくなく、風が吹くたびに音をいくつもいくつも立てて揺れながら光をまき散らす草むらが、仲忠の肌を撫ぜ仲忠の体の芯を固くさせ精を撒かせようとしていると思った。(同上, KN12, 16)

 

 「体の中に空いた穴」に「草がつまり、氾濫する音がつまってくる」のを感じ、「体の奥が不意に熱く」なったという身体の反応を通じて、京極の廃廷が「北山」だと確信されていることがわかる。しかも、身体の「空洞」に音が詰まれば陶酔するという身体的反応はたしかなものとして、繰り返し生じている。

 このような空洞な身体の完成型は『宇津保物語』に確認できるが、空洞な身体というあり方そのものは中上の早い時期の作品から一貫して見られる。いずれにおいても、「音」や「風景」が「身体」の中に満ちることで、世界と一体化し、身体は透明なものとなり、心地よい陶酔に陥っていることが確認できる(8

 初期の代表作「十九歳の地図」のクライマックスの場面を見ておこう。身体いっぱいに世界への憎悪や破壊欲求を詰めていた19歳の少年が、方々に脅迫電話をかけまくることで、ほうけたようになっている。

 

ぼくは体の中がからっぽになってしまった感じだった。そしてそのからっぽの体の中で、ゆるしてくれないのよお、という女の声が風にふるえる茶色く痛んだ葉の音のように鳴っているのを知り、もう一度女に電話をかけて、その声が紺野の言うようにかさぶただらけのよごれたマリアさまかどうかたしかめ、そうだったら、ああ救けてください、と紺野のようにからかってやろう、と思ったが、ぼくはやめた。そんなことをしてなんになる。…(中略)…不意に、僕の身体の中心部にあった固く結晶したなにかがとけてしまったように、眼の奥からさらさらしたあたたかい涙がながれだした。ぼくはとめどなく流れ出すぬくもった涙に恍惚となりながら、立っていた。なんどもなんども死んだあけど生きてるのよお、声ががらんとした体の中で響きあっているのを感じた。眼からあふれている涙が、体の中いっぱいにたまればよいと思いながら、電話ボックスのそばの歩道で、ぼくは白痴の新聞配達になってただつっ立って、声を出さずに泣いているのだった」(KN1, 414)。

 

 「からっぽ」の身体の中に「女の声」が入り込み、「声」に満たされ、感極まって立ちつくす主人公の姿がある。そして、声が「がらんとした体の中で響きあっているのを感じ」ながら、脈絡も定かでないまま「不意に」涙をながし、「恍惚となりながら」「つっ立って、泣いている」。この時、主人公は陶酔し、救済されている。ポイントは、何によってなぜ救済されたのか、何が得られたのかといった意味は一切分かっていないということだ。ただ、身体の空洞が満ちたという感覚だけが確かなものとしてあって涙を流すのだが、本人はその涙の意味をつかみかねている(「白痴の新聞配達になって」)。これが、「空洞」な身体が真理を確信する仕方である。

 

3.4. 何に憑依されるのかについてのコントロール不能

 身体の「空洞」に流れ込むのは快いものだけではない。外界の不快なものや不気味なもの、不吉なものも、空洞な身体に流れ込む。身体の持ち主は身体が何を吸い込んでしまうのかをコントロールできないという不安定さをかかえている。

 例えば、『十九歳のジェイコブ』(1986)より、ジャズバーで音楽を聴きながらの昔を回想する場面をみよう。

 

草すべりをする崖は暗くかげっていた。風を受けてくすんだ色に草は揺れた。ジェイコブは真空の体で呼吸する度、その冷たい取り付く島もない崖の草のざわめきを吸い込んでしまう気がした。…葉ずれの音は耳から入り、体にあふれる。(『十九歳のジェイコブ』, KN9, 11)

 

 死を誘うような崖の暗いかげりや、そこでざわめく不吉な草の葉ずれの音を吸い込まされてしまっている小さな子どもの姿がある。外界のものが流れ込みやすい「空洞」な身体は、その身体の持ち主にとって不快なものも快いものも同等に浸透させてしまうのである。

 空洞を抱え、それが満ちて陶酔し、欠けて苛立つ身体は、「空洞」という性質ゆえに憑依されやすい。ニヒリズムといった思想としてではなく、即物的な身体感覚として感じられる「がらんどうな空洞」という中上の感覚、自分が空っぽであるという感覚こそが、憑依という文学上の方法を支えている。

 

 4.憑依は何をもたらすか、憑依という方法の限界

4.1. リュウノオバの論理において肯定される家庭内暴力

 中上の憑依体質は「空洞な身体」という論理で成り立っている。空洞な身体は、外界の快いものも不快なものも、身体の持ち主の意図とはかかわりなく吸い込んでしまう。主体がコントロールできないという点で不安定性を持っている。

 このことを踏まえて、憑依という方法が、中上をどの地点に引きずっていくのかを見ていこう。憑依という方法の負の側面を見なかったことにして中上の憑依を論じれば、一面的とのそしりを免れえない。

 以下では中上の実生活での家庭内暴力を題材にした私小説的な作品を見ていく。次の引用は『蛇淫』(1976)の中の「路地」から、不倫して数日家を空けたあとに帰ってきた夫と妻の会話の場面である。

 

「あんたねぇ」女房がいった。「あの女、好きなんやったら、出ていってもええんよ」

「ああ?」と彼は訊き返した。

「わたしや子供らの目の届かんとこで、好きやったら、暮らしたらええのに。誰もなあ、無理に、鳥をかごの中に閉じ込めるみたいに縛らへん。かまんから、出ていき」

「なに言うんじゃ、なにやって食うんじゃ?」

「あんたの知ったことか、そんなこと」女房は言った。「おばあちゃんに頼んで、あそこの店、手伝わせてもらうわ。それで食べられへんかったら、夜はバーにでも働きにいく」

子どもがブロックを取り合っていた。下の子どもは、彼を見て、べそをかく。下の子どもの見方をする気もしなかった。上の子が青のブロックを取り上げた。「また、おばけ、かけ」彼は言った。…ブロックをあきらめ、子どもは彼のギザに乗った。かおをくっつけ、「おばけー、おばけー」といった。両手を使って、瞼を吊り上げさせ、舌を出した。彼の顔を舌でなめた。彼が、顔を背けると、ひざに乗って身を乗り出した。女房に向かって、「おばけー」と言った。

「嫌な子やな」女房は言った。「誰が、おばけなんや」

その言葉がひっかかった。「何」と彼は、言った。子どもを左手に抱えたままだった。咄嗟に、そのまま、足で蹴った。女房の膝にあたった。女房は突然、蹴りつけた彼に驚き、見つめた。腹の下方から、炎が這いあがってくる気がした。「何じゃ?」彼は女房をにらみつけ言った。炎が、一体何なのかわからなかった。なぜ、身体の中に炎が起こったのか分からなかった。子どもを膝から降ろして、彼は立ち上がった。背が高いため、蛍光灯が顔にあたった。「もう一遍言うてみい」体中が火を噴き上げていた。「何にも言わへんやないの」女房は言った。

「うるさい」と彼は怒鳴った。その自分の声が背骨に響くのを感じた。卓袱台を蹴った。ひっくり返り、足が折れてはずれた。

「何をするの?」女房は、下の子どもを抱きとめた。ものも言わず、彼はひっくり返った卓袱台をつかみ上げ、土間に向かって投げた。障子戸に当たった。それにはめ込んであったガラスが破けた。上の子が遊んでいたブロックをもって、大きな声をあげて泣きながら、女房に抱きついた。女房の膝に先に乗っていた下の子が「あかん、あかん」と、上の子の髪をつかんだ。女房から引き離しにかかる。「かまんの」と女房は、低い声で言った。下の子の手を髪から離し、口を開けて目を閉じ涙を出した上の子を抱えた。蛍光灯は、まだ揺れていた。上の子が、女房の胸に顔をこすりつける。下の子は、また「あかん」と髪をつかみにかかる。「かまんのう」と女房は言った。声が震えた。「かまんのよ、かまんのよ」と言って二人の子の頭をなぜた。それは、見たくなかった。

彼は、外に出た。隣の女が、入口に立っていた。彼を見てすぐ引っ込んだ。不愉快だった。すぐ、人の話に割り込みたがる。路地を、歩いた。ゆっくりと歩いた。女が、女房と義母に、この路地の罪人のように引き立てられてきたことが、本当のように思えなかった。路地の夜は、優しかった。菊のにおいがした。そこをふらふらと歩く弦叔父の姿が浮かんだ。(『蛇淫』「路地」, KN2, 254-255)

 

 夫が妻に暴力をふるうきっかけとなったのは、「おばけー」と言いつのる子どもに対して、妻が「嫌な子やな」「誰が、おばけなんや」と言ったことである。もちろん、この言葉は夫に向けたものでもなければ、夫を暗に非難するというたぐいのものでもない。むしろ日常に疲れた「女」の何気ないふるまいの一つといったところだろう。だが、これが「男」の暴力の発動の発火点となっている。「男」の暴力には何の合理性も正当性もない。だが、だからこそ、つまり一見すると暴力をふるう合理的理由がないからこそ、暴力の発現は読者にとって明らかに異様なものと映る。その異様さ(非合理性)を理解するためには、読者は、言葉では表現できず、暴力にしかなりえなかったものがあるのだろうと想像せざるを得なくなる。このようにして、暴力を書くことで、言葉にならない何かがあることを示すことができる。というわけで、この場面は中上作品の中でもよく書けている箇所の一つだといえる。

 この引用箇所でもう一点、注目すべきは、主人公が家を飛び出した瞬間、そこには「優し」く「菊のにおい」が立ち込めた「路地」という物語空間が広がっていることだ。不倫したことをなじられ、頭にきて家族に暴力をふるった「男」を「路地」が包み込んでいる。あたかも、不条理な暴力をふるってしまうのは「路地」に生きる者の宿命だとでもいうかのようだ。「路地」という「大きいもの」によって、彼は不倫せざるを得ず、妻を殴らざるをえない。しかし、オリュウノオバの肯定の論理の中では、暴力は路地で繰り返されてきた宿命として、包摂され、受容され、許容されるのである。

 

4.2. 憑依されることで発動する暴力

 中上の私小説的な作品である「楽土」(1980年初出、『熊野集』(1984)に収録)は、最初に注意を喚起しておくが、さらに最悪だと言わずに引用することができない。肉体の興奮が高まっていくさまは、どうしても原文を長々と引くことでしか示すことができないため、長々と引くことになる。

 

三月三日の夜だった。深酒した。それでも夜のうちに家に戻ろうと、まだ飲み歩こうと誘う仲間を振り切ってタクシーに乗った。夜明け前の三時頃、家に着いた。居間には、一週間ほど前から内裏(だいり)雛(びな)が飾ってあった。女房は、帰り着いて腹が減ったと言う彼に飯の用意をした。「待っていたのに」と言った。その言葉にむらむらと腹が立った。

「花ひとつ飾ってないじゃないか」彼は言った。「てめえは、何を言っても分らんのか」女房はかくんと首を落としてうなだれた。そうやって自分が悪かったという振りをすればその場はやり過ごせる、と思っていた。酒癖が悪い、というのは彼の周囲の人間なら誰もが知っている。彼は、それに腹立ちを刺激された。食っている物がまずい、と思った。ハシが俺の好みじゃないと思った。坐っている椅子、テーブルが気に入らない。この椅子、このテーブルで、この俺がモノを食えるか、と思った。俺の好みは何一つここにない。それで彼はいきなり、テーブルをひっくり返したのだった。女房は素早くとびのいた。これまでに何度も天井からぶら下がった室内灯を壊されたり、冷蔵庫を横倒しにされたりしているので馴れっこになっている。ガスレンジのそばに身を避けた。

「分らんのか」

「すみません」

「何が、すみませんだ。言ってみろ」

「花、飾ってないから」

「何の花だ?」

女房は黙った。うなだれた。

三月三日は痛い日だ、と彼は朝食の時に、女房に言った。仕事を終えたら今夜は、年若い友人を呼びだして飲むかもしれないと言った。女房は、「子供たち、パパの帰りを待ってるから寝てしまわないうちに帰って来てよ」といった。「お雛様なあ、見るたんびにつらいんだよ」彼は言った。「お雛様って、やっぱり人形だろ、人の形だろ、人の身代わりだろ。兄貴な、二十四の時、三月三日の今日、首つって死んだんだよ」(『化粧』「楽土」, KN3, 108-109)

 

  この記述の後、「彼」が帰ろうとしたが、どうしても帰れなかった理由が、次のように述懐される。「一軒だけで終わりと思ったが、酒が入ると、その人の身代わりの人形が赤い段々ににこやかな顔で坐っている家に戻るのが重っ苦しくなった。兄は何度も何度も、包丁を持ったり鉄斧を持ったりして殺しに来た。…(中略)…その兄が自殺したのが、三人の女の子の、節句の朝だった」(同上, KN3, 109)。

 「彼」が娘二人のためのお雛様が飾ってある家になかなか帰宅できず、飲み歩き、夜中の3時に家にたどり着いて当然のことのように妻に食事の用意をさせ、その妻を暴力でおびえさせるという一連の非人間的ふるまいをするのは、三月三日に「彼」の兄が自殺したことに「彼」が呪縛されているから、らしい。そして、暴力が爆発する。先の続きである。

 

それ以上訊かなかった。物も言わず、テーブルの脚を四本折った。花ひとつ、せめて飾って欲しい。どこを仏壇にみたててもよい。台所の隅であろうと、たとえ便所の中であろうと。女房と結婚しようと思ったのは、この兄の死があったからだった。兄の死んだ齢に自殺するかもしれないと思い、その齢が来るのをおそれていた。二十四歳まではどうしても生きようと思った。それまでメチャクチャをやってやると覚悟していた。それが自分を殺そうとしても殺せなかった兄への洗い清め方だ、と思っていた。二十三歳の終わりにつきあっていたのがこの女房だった。妊娠した、と言った。天啓のようなものだった。兄は独り身のまま子供も作らず死んだ。この女の、腹の子によって彼は生きられると思った。遊び暮らす生活から足を洗う為に、ひとまず郊外の自動車工場に期間工として入った。(同上, KN3, 110)

 

 「彼」は、24歳で自死した「兄」の呪縛から解かれ、兄のように死んでしまうことなく生き延びるために結婚したのだという、いきさつが語られている。ちなみに、そんなに「花」を「飾って欲しい」のならば事前に妻に頼んでおけばよいのであって、飲んで帰ってきたあとに暴れまわりながら主張することではない。さらに、エネルギーをコントロールできない「大きな男」の家庭内暴力は続く。

 

それからしばらく経ったある日、騒動が持ちあがった。これも深酒しての朝帰りだった。三日ほど娘たちの顔を見ていなかった。彼はもつれる足を踏みしめながら階段を上り、娘二人と女房の寝ている部屋に入った。女房の布団に一緒に寝かせてくれ、と言った。酒を飲んでの口論の余燼が頭の中に残っていた。…女に、いや女房や娘に、抱いて寝てもらいたいと思った。肌のぬくもりが欲しい。そうすれば満たされぬままふっ切れずにある気持ちのわだかまりが、溶けていくように思った。

「いやよ」と女房は言った。

ただそれだけの理由だった。女房を殴りつけた。ひどい男だった。クッションの入った鏡台用の椅子で頭を殴った。部屋の隅に置いてあった石油ストーブを投げつけた。一瞬、抱き合うこともできぬのなら、女房と娘二人を道連れにして、死んでしまおうと思った。石油が布団に散っていた。彼の体にも、女房にも、二人の娘にもかかっていた。娘二人は、眠りをいきなり破られ、ただ泣きわめいた。雨戸を閉め忘れたところだけ、障子がほのかに明るかった。石油のにおいは鼻についた。彼はマッチを探した。その部屋にはなかった。障子の桟が揺れた。縦横、もつれ合っているように見えた。自分の部屋にあったはずだと彼は思い、部屋の外に出た。とたんに上の娘が、泣き声をあげながら駆け降りた。娘は、自分の枕元にいつも置いて寝る桃色の小さなウサギのぬいぐるみをしっかりと抱きかかえていた。誕生日のお祝いに幼稚園の友達からもらったものだ。娘たちの部屋のすぐ下の両親の部屋に入り込んだ。勢いよく戸を閉める音が、彼の耳に痛く響いた。

マッチはなかった。腹が立った。

「連れ戻してこい」と女房に怒鳴った。「俺の子供だ、連れて来い」

女房は体にしがみついて泣いている下の娘をはがした。立ちあがって、下に降りた。泣きわめている娘の手を引っ張って上がってきた。彼は「一人逃げやがって」と上の子の頬をぶった。女房に手を離されると上の娘は下の娘に抱き着いた。二人で蝉のように泣いた。(同上, KN03, 111-112)

 

 

 「彼」の暴力シーンと「彼」がその時思いだしている兄の自死とが、同じ段落内で連続的に語られていることから、兄がこの世に残していった呪いに縛られ苦しんでいるがゆえに、最愛の家族に暴力をふるい家庭をめちゃめちゃにしてしまうのだと「彼」が考えているとわかる。言うまでもなく、「彼」の兄の呪縛は家庭な暴力の合理的な理由にはならない。

 主人公の「彼」自身も、「兄」の自死が、妻子への暴力を正当化する理由にはなりえないことに気づいている。「酒癖が悪い、というのは彼の周囲の人間なら誰もが知っている。彼は、それに腹立ちを刺激された」とあるように、自分のふるまいが肯定し得ないものであることは気づいている。したがって、彼自身、自分によって裁かれているし、苦しんでもいるのだろう。

 しかし、問題はここからである。「彼」は自分の妻子を殴るというふるまいを自分の意志でやめられると思ってはいないし、殴って家庭をめちゃめちゃにしてしまうことの責任を取れると思っていないので、責任を取ろうと思っていない。なぜなら、「彼」の論理でいえば、自分の力を越えた「大きななにものか」が「彼」に家庭内暴力をさせるからである。

 「彼」は、「兄」がこの世に残していった恨みや自分に対する羨望、怨念を強烈に感じ、路地という共同体の因縁から逃れることができないという追い詰められた境地に追いやられている。このとき、「彼」は自死するのでも、修行僧になるのでもなく、家庭の中で暴力をふるった。この行動をさせたのは「大きな男」である「実父」が「彼」にとり憑いたからだというのが、「彼」の論理である。「彼」は「実父」である荒ぶる「大きな男」に憑依され、「大きな男」の暴力的なふるまいを反復してしまう。

 

あの時、石油を被ったままマッチをさがした。燃え上がってもよかった。四人で炎に成る。それが男の心というものだ、と彼は思った。娘二人は抱き合ったまま炎に成る。女房はその娘たちを抱く。それを彼が抱く。炎は一つに成って、部屋を焼き、家を焼く。

あの男は、彼の実父は、三歳の彼を母の手にまかせ、母に追い出された。こんな気持ちだったのだろうか?(同上, KN3, 114)

 

 妻と娘に暴力をふるう男ができるのは、破壊しつくせば何もなかったことにできるかもしれないと信じて、破壊しつくすことだけである。

 実父である「大きな男」というモチーフもまた中上の作品中に頻出するものだが、「大きな男」とは貧困のしわ寄せを受けやすい被差別部落の中で、火付け、暴力などを行いながら、生き抜いてきた男のことだ。その「大きな男」が現代で息子に憑依するとき、その暴力性が公権力に干渉されない家庭内において発現したというところにもの悲しさと一抹の滑稽さがあるが、この点はこれ以上問わないでおこう。

 ここまで見てくると、中上が文学上の方法論としてとった憑依は、「文学上の方法」であることを越えて、現実の彼の生活に流れ込んでいることがわかる。憑依された身体は、当人のコントロールを越えて、最愛の妻や娘を殴る。このとき憑依は、妻子を殴ることの正当化の論理として機能している。

 

4.3. 憑依という方法の限界

 中上の憑依による語りは、一方で、路地を美しく謳いあげる物語をもたらした。中上はオリュウノオバ亡き後の路地を書き、「路地なるもの」をアイヌにも、韓国にも、黒人の子どもにも同性愛者にも見出していく(例えば『野生の火炎樹』(1985))。このような形で路地に生まれ、自分がとりあげた子どもだけを特別視するオリュウノオバの路地至上主義(エスノセントリズム)を越えていこうとした。

 自分ではない何ものかを自分の身体の内に浸透させてその言葉を語るという憑依において、「自己」や「他者」は安定的な関係にない。二人が同じ場所に立つことはできないという意味での排他的で確固とした「自己」と「他者」は、成立してはいない。自分はここにあって、あそこにもあるかもしれないし、自分の言葉でも他者の言葉でもないようなものとして、自分が語ることになる。

 中上が、世界の至るところに「路地なるもの」を見出していくのは、この憑依の論理の延長線上にある。中上のルーツである路地は、紀州の新宮にしかない絶対的に固有なものでありつつ、ここにもあそこにも見出されるようなものとして発見されていく。中上は「路地なるもの」の拡大と遍在を通して、被差別部落を「聖別」せずに語る方法を生み出していった。以上のように、憑依されて語るという方法がもたらした果実は大きいし、その点を以って憑依という方法は成功したといえる。

 しかし、他方で、中上の憑依という方法は、女性に対する差別を乗り越える手段とはならなかった。

 中上の家庭内暴力に関しては、様々な要因が絡んでいる。被差別部落に生まれて自ら差別を経験し、「血」の反復に怯え、自分の子どもを産む「女」の肉体への憎悪のようなものを持っていたという、中上の性に関する思想がある。中上の女性観については、もう少し詳しい検討が必要である。母や姉といった親族の女性たちを美しく謳いあげ、性愛の対象である「女」とはほとんど人間的なつながりを持たず動物のように「つがい」続け、自分の子どもを産む「女」には激しい憎悪(愛憎なのかもしれないが)を向ける。中上は度のカテゴリーに属する「女」であるかによって異なった対応をしているが、それらはすべてことごとく自分とは異なる存在としての「女」として「聖別」し続けた。このような在り方を、「女性差別」の一言で片づけて済ませることができるのかどうか現段階では判断できない。少なくともここまでの議論で言えることは、憑依という方法が女性差別を乗り越えるようなものとしては機能しなかったということである。

 

5.さいごに

 私が最初に中上健次に興味を持ったのは、トリップしようとしてうまくトリップできなかったり、時々トリップできたりする彼のじたばたぶりを見たときだったと思う。中上作品の主人公たちは絶えずクスリやジャズ、お酒、性でトリップし続けようとし、禁欲的な主人公の場合には昼の日々の労働において(!)陶酔する。なぜこの人はこんなにトリップしたがるんだろうかという疑問がフックになった。中上のトリップしようとするじたばたぶりは、あまりにも切迫したものだったからだ。

 中上の長編小説の多くが「物語」の構築と破壊をめぐる実験小説で、いわゆる一般的な意味では「面白くない」のだが、トリップし続けなければ生きていけないという中上の切迫感と、「自分ではない何か」「ここではないどこか」を生きようとする衝動だけは、すごくよくわかった。私が日々憑かれたように本を読み、考え続けているのも、トリップと言えばトリップ、ここではないどこかを生きようとする衝動であるような気がしてきた。

 とくに、本稿3.で論じてきたように、身体に何かが詰まってきて陶酔するというありかたは、衝撃的だったし魅力的だった。中上の主人公たちは、身体の「空洞」が満たされることで「真理」を確信する。私たちがこの世の中で、あるものを本当だとか、真理だとか、正しいとか、美しいとして深く納得するときには、こういう身体的な確信とでもいうべきものが伴っているということに気づいた。これはあまり言語化されていないことであるが、真理を確信するときの身体的反応の論理について考えてみたいと思った。

 「空洞」が満ちるときの陶酔に比べて、中上が書き連ねた性愛の描写は、ほとんど陶酔をもたらさない。登場人物は「絶頂」に達しているが、読者の方には陶酔がおとずれず、終わりのない繰り返しだという不毛感しかおこらない。主人公が音や音楽や風景を吸い込んで陶酔しているときには、いつも決まって読者である私も心地よく救済されるにもかかわらず。これは、本当に不思議なことで、「空洞な身体」の論理を丁寧に追って明らかにした今でも、やっぱりまだ中上のテクストがもたらす陶酔という謎は解けていないような気もする。が、謎の片鱗は明らかにできたことはたしかだ。陶酔というものは、その性質上、いつまでたっても片鱗しか明らかにされないのかもしれない。

 本稿では、中上が路地の消滅という事態に直面し、何かを背負い始めたときに明瞭化されてきた「憑依される」というトリップのあり方を扱った。差別という現代的な一大テーマに、中上がどう切り込んだのか、そこから私たちは何を学べるのかということを真正面から扱いたかったからである。

 中上は、世の中に抵抗し破壊しまくる少年期を越えて「オトナ」になったあとも、市民社会のなかで良き夫・父親の役割を果たすことができなかったが、路地を美しく謳いあげることに成功した。差別解消に向けて目指すべきゴールとは、ある人がその出自や属性に誇りを持つことができて、かつその出自や属性によって差別的扱いを受けないことであると、私は思っている。この2つを同時に達成することが難しいわけで、これはオリュウノオバの語りの危険性として論じてきたことがらである。“Black is beautiful”と前者(ある人がその出自や属性に誇りを持つための文化コードを作り出すこと)のみを推し進めることは、差別強化の危険性を抱え込むことでもあるが、インパクトのある前者が必要なことは事実だ。中上は『千年の愉楽』とその後の展開を通して、とくに前者の目標の達成に寄与している。もちろん中上文学の価値を政治的寄与の有無で論じるのは無粋であるが、これを抜きに語るのも不十分である。

 こんなかんじで中上の憑依という問題を検討していたら、妻子に対する暴力をふるうことの正当化根拠として、「実父」の憑依という論理が登場していることに気づいてしまった。よくある「小説家・芸術家だから、市民社会に適合できないのは仕方ない」という言い訳の変形なのだが、「大きな男」や被差別部落の因縁にとり憑かれているから家庭内暴力をするのは仕方がないという論理展開はあまりにも個性的で、興味深いと思った。

 論理的には面白いですむのだが、やっぱりなにかこの家庭内暴力というものがどんよりした重たい気持ちを私たちに引き起こすとしたら、それは殴る相手が妻子という「大きな男」よりも弱い存在だからだと思う。社会の中で虐げられている者が「この社会がどこかおかしい」と思いつつも、同じ社会の中のより弱い者を虐げるという下方に抑圧が圧縮されていく現象は繰り返されてきたことだが、差別に対する鋭い洞察を持っていた中上がこの罠にはまったことは多少驚きであり、本稿では憑依という方法の限界点の一つであろうと論じてきた。だが、ここには女性蔑視・憎悪の根深さを思わせるものもある。憑依という方法によって女性蔑視・憎悪が起こっているわけではないので、中上の女性観については稿を改めて論じるべきだと思っている。

 

1)佐々木健一, 2010, 『日本的感性』中公新書. 

2)中上は自分のことを次のように語り、「熱病」にかかっているのだとしている。のちに再び引く箇所だが、ここでも論拠として挙げておく。「いろんなことがその自分の熱病みたいなもんで動いているんじゃないかと考えるんです。その熱病が一体、どこからでてくるか。つまりぽっかりと意味もなしに空いた、空洞みたいなものから出てくるんじゃないか。そういう気がするんです。(『中上健次と熊野』, p.37 )

3)小松和彦, 1994, 『憑霊信仰論』, 講談社学術文庫:159-160. 小松は、「憑きもの筋」という考え方は、ある程度閉鎖的な共同体のなかである家にのみ不幸が続いたり、ある家だけが急激に金持ちになったりするという偶然的な出来事を説明するためのものとしてあったと論じている。

4)2011年に高知県幡多郡でフィールドワークを行った酒井貴広は、「犬神とは血の関係のことではないか。(犬神とは)生まれながらに血が濁っていたり、ブツブツが出たりする人種であり、要するに同和問題のことである。(犬神のことを)めったな所で聞くものではない。私は犬神ではないが、今でも犬神を嫌っている人がいる。犬神とは結婚したりするものではないと言われていた。現在では犬神持ちは結婚で混ざり合っている。」(T・T 氏、71歳、男性)という発言を採取している。犬神と「同和問題」が結びつくものであったことがわかる。(酒井貴広, 2014, 「現在までの憑きもの研究とその問題点: 憑きもの研究の新たなる視座獲得に向けて」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』59 :123-140)。

5)「そこがまだ路地ができていない雑木林だった姿を思い描き、自分が見たわけではないのにさながら落ち葉が降りつもるように一人二人と方々から寄り集まってきてすみつく姿を現実に眼にするように思い浮かべたのだった」(『千年の愉楽』「半蔵の鳥」, KN5, 22)。「路地の隅から隅まで、路地が作り上げられていく過程から未来の消滅までを知り尽くしている老婆」(同上「カンナカムイの翼」, KN5, 164)。

6)「女が一目みたなら、この人は並みの方ではない、子爵か男爵かいずれ高位な出の御方と思うような顔立ちの者ばかりだし、路地の女らが言う事だが、閨事のよさにかけては敵うものはない」(同上「ラプラタ綺譚」, KN5, 147)。現に目の前に見えるものに、ある意味を付与することで、差別は誰にとっても理解可能で反論しがたいようなものとして浸透していくのだ。

7)平安中期の伝奇物語『宇津保物語』の中上による語り直しは、第6話まで書かれ、未完のまま残された。未完に終わった原因について、安藤は同時期に進められていた中上の「折口信夫論」の変節と関連づけて論じている。安藤礼二, [2008]2010, 「物語の「うつほ」:中上健次『宇津保物語』論」, 『たそがれの国』筑摩書房:124-135.

8)『枯木灘』(1977)には、次のような場面がある。「何も考えたくなかった。ただ鳴きかう蝉の声に呼吸を合わせ、体の中をがらんどうにしようと思った。つるはしをふるった。土は柔らかかった。力を入れて起こすと土は裂けた。また秋幸の腕はつるはしを持ちあげ、呼吸を詰めて腹に力が入る。土に打ちつける。蝉の声がいくつにも重なり、それが耳の間から秋幸の体の中に入り込む。呼吸の音が蝉の波打つ声に重なる。つるはしをふるう体は先ほどとは嘘のように軽くなった。筋肉が素直に動いた。それは秋幸が十九で土方仕事についてからいつも感じることなのだった。秋幸はいま一本の草と何ら変わらない。風景に染まり、蝉の声、草の葉ずれの音楽を、ちょうどなかが空洞になった草の茎のような体の中に入れた秋幸を秋幸自身が見れないだけだった」(『枯木灘』KN3, 327)。

また、青年期を書いた完成度の高い『十九歳のジェイコブ』(1986)でも、からっぽの胃に鎮痛剤を流し込んでトリップするジェイコブの「空洞」を満たすのは、音である。「ジェイコブはジャズのドラムに合わせていた自分の呼吸が弱く細くなっていき、そのまま続けていれば空洞の自分の体の中にジャズがつまり、腕を切っても手首を切っても血ではなくジャズの音が流れ出してくるようになると思う。そう思い、ふと涙のようなものがわき出てくる」。

 

関連記事

ytakahashi0505.hatenablog.com