Stéphanie Genz and Benjamin A. Brabon, 第1版 2009年、第2版 2018年,
Postfeminism: Cultural Texts and Theories の(『ポストフェミニズム:文化的テキストと理論』)中の
第4章 "Girl Power and Chick Lit" (「ガールパワーとチックリット」)の要約翻訳
【高橋による論文解説】
この論文では、次のような整理がなされています。
ポストフェミニズム文化の全盛期は、1990年代後半から2000年代中盤。代表的作品として『ブリジット・ジョーンズの日記』、『SATC(セックスアンドザシティ)』。
2010年代にも引き続き、このジャンルでのポストフェミニスト女性を主人公とするポストフェミニズム作品が作られ続けたが、2008年の財政危機以降の景気後退期の若い女性たち(ミレニアル世代)を描いた作品群は、1990年代後半から2000年代中盤までのものとは異なっている。代表的作品としてテレビドラマ『Girls』(2012-)。
【要約翻訳】
スパイスガールズに見る女子力
・ポストフェミニスト・スタンスの代表例として「Girl Power(女子力)」がある(p.120)。
・1996年にスパイスガールズがインタビュー時のスローガンとして「ガールパワー」という用語を使い始めている。
・1997年に政権に就いたトニー・ブレアは、「クールブリタニカ」を掲げてイギリス発の文化を世界に売り出すという文化政策を行うわけだが、スパイスガールズもまたそのコンテンツの一つとして世界に売り出されていった。(→イギリスのチックリットを映画化した『ブリジット・ジョーンズの日記』が2001年に世界中で大流行、「チックフリック(女子映画)」という映画ジャンルが確立する。)
・スパイスガールズの言う「ガールパワー」とは、自らへの自信に裏打ちされた女性性(femininity)やセクシュアリティのディスプレイ(呈示)による、女性の自立と個人主義の主張だった。
・女性の自己主張と、ライフスタイルと性の自律性(自己決定)を基本スタンスとするガールパワーは、第二波フェミニズムの主張を新しい形で受け継いだものと位置づけることができる。
チック・リット(chick lit)に見るポストフェミニズム
・ポストフェミニスト・スタンスをよく示すものとして「チックリット」がある。
・チックリットとは、「女性のための小説で、女性性という装飾品(adornment)とヘテロセクシュアルなロマンスの喜びを賞賛する作品群のこと」。「特有の主題、登場人物、視聴者、語りのスタイル」を有している(p.119)。
・チックリットは、「ミルズ&ブーン(ハーレクインとならぶ女性向け大衆恋愛小説レーベル)シナリオの新しいバージョンでしかなく、「空疎」で「読むのは時間の無駄だ」とか言われてバカにされてきた。
・Suzan Ferris and Mallory Young (2006)は、「チックリットとは、20代から30代の独身女性を主人公とし、キャリアと個人的な関係(=恋愛や結婚のこと)の両立という、この世代に与えられた試練(チャレンジ)のナビゲーターについてのストーリーである」と定義している(p.128)。
・本論文で言及されているチックリットは『ブリジット・ジョーンズの日記』(1996、イギリスの作家ヘレン・フィールディング、2001年に映画化)、Jemima J: A Novel About Ugly Ducklings and Swans (2000、イギリスの作家Jane Green)、I Don't Know How She Does It(2002、イギリスのライターアリソン・ピアソン、2011年に映画化(邦題『ケイト・レディが完璧(パーフェクト)な理由(ワケ)』))。
・チックリットは、女性主人公が日記やエッセイなどを通して自らのライフスタイルや周りの人々のことを語るという形式をとることが多く、自己内省的(self-reflective)で、女性の赤裸々な内面の語りや心理的葛藤が語られることが多い。これらは、女性たちにオーセンティック(本物)な声を与えるものとなっている。
『ブリジット・ジョーンズの日記』に見るポストフェミニズム
・ブリジット作品は、Spinster(独り者)というラベルに付随するスティグマ(魅力的でなく、孤独で、社会的に不適当だ)を払しょくしようとするものであり、SIngletonという言葉で言い換え、これは慣習的でない自分で選んだ都会の友だちを家族とするような独自の態度や言語を持つ新しい反抗的アイデンティティを指すもの(p.132)。
・ブリジットは、一生自分にピッタリくる夫というのに巡り会うことができず、一人で死んでいくのではないかという「存在論的不安」を抱えている(p.132-133)。
・ブリジットは女性のエンパワーメントとか主体性と言ったフェミニスト的考えと、異性愛カップル主義や、女性的美しさと言った家父長制的考えをあわせ持っている(p。133)
・職場の上司が、ブリジットのスカートの短さについて言及した時に、ブリジットはそれをセクハラと捉えるのではなく、上司が自分といちゃつく機会を求めていると理解して歓迎するという態度をとっている。(p.134)
・チックリットは女性を性的エージェントとして描き出すもの。
・これは、女性に性的主体性(sexual subjecthood)を与え、フェミニズムと女性性の節合や縫い合わせとして女性を構築するものである。(p134)
Girls(2012-)に見る2010年代のポストフェミニズム
・2008年の財政危機以降の若い世代を描いた作品では、「ポストフェミニスト」や「ポストフェミニズム性」は、「ポストフェミニズム文化全盛期」とは異なって書かれている。
・彼女たちは、経済的不安と機会の欠如という経済的状況の中を生きている。バウマンは経済的不確定性と機会の欠如に曝されたこの世代を「ゼロ世代」、「ニュープレカリアート」と呼んでいる。
・景気後退期の「ガールパワー」表象として、HBOドラマ『Girls』(2012-、2017年にシーズン6まで放映されており、まだ続く可能性がある)がある。ニューヨークに住む20代の4人の女性の物語で、形式としては『SATC(セックスアンドザシティ)』(1998-2004)を踏襲しているが、取り巻く経済状況が全く持って異なっている。主人公のハンナ(SATCのキャリーに相当)はエッセイイスとになりたいという希望を持っており、ハンナが周りの女友だちのことについてあれこれ書くという点で、SATCと同型。だが、登場人物の多くが、景気後退期に大学を卒業したあと無給でインターンとして働いていたり、仕事がない状態に陥っており、野心が挫折させられている。安定的なフルタイムで価値ある仕事につけている人が少なく、登場人物は多かれ少なかれ親や祖父母からの経済的支援によって生きている。
・『ガールズ』の第1話は、主人公ハンナが大学を出てから2年間、親からの仕送りを受けて生計を立て、エッセイの執筆に取り組んできたが、突然両親から仕送りの支援を打ち切ると言い渡されるところからら始まる(ブリジットでは、スピンスターで人生を終えることへの恐怖の吐露から始まるのと対照的)。
・白人属性のカリカチュアや、過剰にスタイリッシュに書かれた女性性(SATCみたいな)から距離をとるのが、ミレニアル世代。
・「自分とは何か」という問いは、「自分をどう売り込めるか」にとって代わられている。
(翻訳途中、もうちょっと後で足します)
【最後にちょっと感想】
ポストフェミニスト女性像が、英語圏だと、1990年代後半から2000年代中盤までと、景気後退が若者の生活を変えた2010年代以降とでちょっと違ってきているという整理は、興味深いものだと思います。日本では、すでに2000年代の時点で、SATCみたいなイケイケな感じは無理があった感がありますが、リーマンショック後は英語圏でもそれはもう無理感が出てきているということですね。
景気後退期にも、そこでそれなりのポストフェミニズム的な意識が成立している。そこを丁寧に明らかにしていく(特に女性の性的主体性がどのようなものとして描かれているかとか)のは重要な気がします。
また、以上のような英語圏でのポストフェミニスト女性像の議論の枠組みを踏まえたうえで日本のポストフェミニスト女性像を描いた作品群を整理してみると、日本のポストフェミニズム(ポストフェミニスト女性像)がどのようなものとして見えてくるのかについても、時間があったらやってみたい仕事だと思ってはいます(このような何らかの英語圏での議論の枠組みを踏まえたうえで日本のポップカルチャーの状況を整理しておくと、国際学会でも日本のポストフェミニズム状況を報告しやすくなるのはたしか。議論の土台が成立するので伝わりやすいはず)。
が、日本のトレンディドラマについては私よりも詳しい人はたくさんいると思うので、具体的な整理は、そのような方にお任せしたいなーとも思っているところですが!(結局のところ、私は理論的な枠組みに関心がある人間なのだなぁ)
90年代に成立する日本のトレンディドラマの歴史的整理で、10年代まで見通した仕事があるとうれしいなー、いろんな議論がしやすくなるなーと思っています。どなたか良い仕事をされている方を見つけたら是非教えてください。
*ちなみに、『GIrls』は華やかな消費社会文化が出てこない分、セクシュアリティの描写が多く、またセクシュアリティ周りの行動の違いによって、キャラクターをかき分けている点が面白いと、個人的には思っています。
主人公ハンナの彼氏はオラっててレイプ願望があってそれをハンナとの行為の中で満たそうとする、色々問題ありなタフガイ。一方、主人公ハンナの親友マーニーの彼氏はめっちゃ優しい現代的男子で、マーニーのことが超好きで、セックスも顔を見て目を合わせてやりたい、顔近づけて!みたいな子で、マーニーはそれに飽きていてうんざりしつつも、心配性で冒険をしない彼女の性格的にはマーニーとの相性はよい。
というように、女性のセクシュアリティとそのパートナーである男性のセクシュアリティを描き分けることでによって、キャラを立たせているところが現代的。
『SATC』まではおもに、キャリアと家庭どちらをどれくらい優先するか、結婚しているか否かで女4人のキャラを描き分けており、それに付随して男性との性的関係に対してどういうスタンスか(保守的/開放的)も決まっていた感があるのだが(独身を貫くキャリア優先のサマンサは男性との関係においても解放的・積極的みたいな)、『Girls』では、ハンナとマーニーのキャリアに対する態度はほとんど変わらないように見え、セクシュアリティでキャラを描き分けているというところが注目ポイントだと思います。