ポストフェミニズムに関するブログ

ポストフェミニズムに関する基礎文献を紹介するブログ。時々(とくに大学の授業期間中は)ポスフェミに関する話題を書き綴ったり、高橋幸の研究ノート=備忘録になったりもします。『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど :ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(晃洋書房、2020)、『恋愛社会学』(ナカニシヤ出版、2024)発売中。

プロテスタンティズムの倫理とロマンティックラブの精神:デビッド・ノッター『純潔の近代』の論点整理から

1.近代的主体を構成する原理としてのロマンティックラブ

かの有名なプロ倫(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)にオマージュを捧げつつ、「プロテスタンティズムの倫理とロマンティックラブの精神」を、現在語るべきだという話をしたいと思っています。すなわち、近代的主体を構成する主要な要素としてロマンティックラブ(の成立)があるという話です。

これまで『プロ倫』についての図式的・教科書的な説明として次のようなことが言われてきました(私も公務員試験対策の社会学の授業とかで、以下のようなことを喋った記憶があります)。

  • 近代資本主義はプロテスタントの地域(ドイツ、プロイセン)から始まった。カルヴァン予定説の「召命」に基づくプロテスタントの勤勉さと清貧。それが、蓄財→設備投資→資本主義の発展を可能にした。
  • 資本主義に適応的な功利主義個人主義(自分の利得を最大にすることを合理的なふるまいとみなすこと)の原則の確立と、それが社会道徳と調和する(神の見えざる手)という考え方の確立

ここで言われるような「資本主義の精神」と同様に、とても重要なものとして「ロマンティックラブの精神」があるのではないかと私は思っています。ロマンティックラブはプロテスタンティズムの倫理のもとに成り立ったものであり、そして、これは近代的主体のエートスをなすものだった。

資本主義というシステムが、プロテスタント以外の社会でも定着したように、ロマンティックラブらしきものも、近代化とともに世界において定着した。資本主義に地域ごとの多様性があり、資本主義のバリエーションがあるように、それぞれの地域で「ロマンティックラブ」だと思われているものにも多様性があるのではないか。

  • 個人の人生を物語として語る様式(ラブロマンス)の確立を通して広がっていったのが、ロマンティックラブという考え方(必要であればイデオロギーと呼んでもいいが)。
  • ロマンティックラブとは、自己探求(自己実現)としての愛のことである。このようにして「恋愛」は、個人の人生を構成する原理の位置を獲得する。 

といった背景を踏まえた上で、現在の日本のロマンティックラブのあり方とその変容(多様な愛の肯定へ)という問題を捉えた方がいいだろうと思っています。

そういえば、ギデンズ先生も

「ロマンティックラブにたいする抑圧されたこだわりは、マックス・ウェーバープロテスタンティズムの倫理の中に一体化していることを見出した諸特徴と同様、歴史的に独特なものであった。」『親密性の変容』(p.65)

と言っておりました。ギデンズは情熱恋愛は広い時代や文化圏で見られるものであるが、それに対してロマンティックラブは、「文化的にかなり特異な感情である」(p.63)としています。

 

ちょっと、以下概念がややこしくなるので、先にまとめておくと、ロマンティックラブ<情熱恋愛<恋愛結婚 となっています。

「ロマンティック・ラブ」はすごく狭い範囲のことを指す概念。ある時期のキリスト教圏で成立したもの愛の様式のこと。

「情熱恋愛」は強い興奮や相手の人格への思い入れのような非日常的な精神状態を伴う恋愛のこと。

「恋愛結婚」は、どのような愛情や愛情表現様式を伴っているかにかかわらず、ともかくも「当人が相手への愛情に基づいて結婚相手を選ぶこと」を指します。(最後のやつだけ、愛の様式の話ではなく、「結婚」の形態の話なので、なんか同列にするのは変ですが、ま、そう整理しておくととりあえず今日の話は分かりやすいので。)

 

2.

さて、ロマンティックラブとは一体何なのでしょうか。

これまでロマンティックラブとはとりあえず「恋愛結婚」のことと理解されてきました(量的調査の操作的定義でそうなっていることがある)。「愛と結婚と性の三位一体」という説明が一般的です。「運命の人と出会って恋に落ち、結婚して、生涯を添い遂げるということが幸せな人生だ」とするシンデレラストーリーのことを、とりあえずロマンティックラブと同義としている議論も見かける。

しかし、ロマンティックラブとは基本的には、欧米の18世紀後半から19世紀に確立した歴史的概念。だから、日本において本当にロマンティックラブは成立していたのか?ということや、日本で言うところの「恋愛結婚」と「ロマンティックラブ」とはどのように同じで違うのかといったことを、きちんと考えることが重要。

この後、紹介する文献を検討した結果、私は、日本においてシンデレラストーリー恋愛結婚は定着したが、狭義のキリスト教圏で成り立っていたような意味でのロマンティックラブは成立しなかったと考えるのが、論理的にもっとも明瞭になると思っています。(情熱恋愛という概念はギデンズ先生の概念なので、今日のところは脇に置いておく)

いま「日本のロマンティックラブの変容」とか論じられているけど(っつーか、私が本の中で「ロマンティックラブからコンフルエントラブへ」という構図で論じてしまったけれども…あぁぁ)、そもそも日本においては、キリスト教圏で成り立っていたような狭義の意味でのロマンティックラブは成り立ったことがないよね、という指摘はたいへん重要。

その仕事をやっているのが、デビッド・ノッター氏の『純潔の近代:近代家族と親密性の比較社会学』(2007)です。

 3.ノッター本が提起している論点

ノッターさんによると、近代化とは純潔化である。すなわち、近代化のプロセスにおいては、性から切り離された愛に価値をおく価値観の登場と普及が見られる。この現象は、アメリカでも日本でも見られる。

だが、アメリカでは、ロマンティックラブの理想の普及と近代家族の定着は同時期に起こった。具体的には、アメリカでは1830年代頃に近代家族が定着(p.35)。それによって、ロマンティックラブで結ばれた夫婦の愛情を中心とする、聖なる「ホーム」概念(スイートホーム)が成立した。

一方、日本では、大正期の中産階級において「恋愛結婚」を理想とする言説が見られるが、それはロマンティックラブというよりは「友愛結婚」(ストーンが言う意味での)だった(p.12)。

なぜそれを「ロマンティックラブ」と言うことができず、「恋愛結婚」とすら言えないのかというと、この時期の日本の中産階級においては「男女交際」が成立していなかったから。日本では、婚前に本人たちが異性と交際するというプロセスが、純潔の観点から言ってひじょうに危険なものとして問題視されたので、男女交際というカルチャーが成立しなかった。交際がないので、本人が相手への愛情に基づいて結婚相手を選ぶということは、実質的にはできていない。したがって、これを恋愛結婚ということはできない。

  • アメリカでも「純潔」が重視され、婚前交渉に対しては厳しい目が向けられていたにもかかわらず、なぜ婚前の「男女交際」の文化(デーティングなど)が広範に成立しえたのかというと、中産階級の男性が「リスペクタビリティ」の観点から、性欲の自制を「男らしさ」の証として重視したため。日本の大正期の純潔運動において、男性のマスターベーション有害論は見られるが、女性との実際の接触の中で、二人きりになったとしても自制することを、文化的に価値化するようなシンボル体系は成立しなかった。

アメリカでは自己統制によって性欲の統御や抑制が可能であり、とくに困難なものではないと思われていたのとは対照的に、近代家族が形成される時期の日本では、抑制できなものとしての「性欲」の言説が主流となった。(p.54)

→この見解を赤川さんなどを引きつつ、ノッターさんは述べています。日本では「おさえきれない性欲」の強さやそれを表現することが「男らしさ」を意味するみたいなシンボル体系(意味論)が成立していたのだと言えると思われるが、なぜ日本ではそのような意味論が成立したのだろうか、その文化的・社会的背景としてどのようなものがあるのだろうかということが気になる。日本でも大正期には階級があったのに、なぜ日本の中産階級の男性は性欲の自制を「男らしさ」とする価値観を形成しなかったのか。中産階級の人口規模の問題かなぁ?

  • アメリカでは1830年代から若い男性の性的純潔を促進するための改革運動が始まっており、結婚するまでは青年は童貞でなければならない、自慰はしてはいけない といったことが主張された。当時の医師などの識者が、男性に向けてこういう情報を発信したのだが、この見解が男性自身に受け入れられていった背景には、性的なものが持つ「身体を穢す力」が「不浄なもの」として男性によっても恐怖されていたから、で、その穢れを聖なる「スイートホーム」に持ち込むことを極端に恐れたからである、とのこと(p.34)。

では、戦後の日本はどうかというと、戦後には「男女交際からの恋愛結婚」という流れが成立した。1960年代後半に、結婚全体に占める恋愛結婚割合の方がお見合い結婚割合よりも高くなっている。

だが、その頃から、日本もまた世界の先進国と同様に「性解放」時代に入っていくので、「純潔」概念が揺らぎ始める。

ノッターさんによれば、ロマンティックラブとは純潔の観念と恋愛結婚の観念の両立を必要条件とするが、日本では、

  • 大正時代:純潔規範 〇、恋愛結婚のための仕組み(男女交際)×(なし)
  • 1960年代後半以降:純潔規範 △(ゆらぎ)、恋愛結婚のための仕組み(男女交際)〇

というように、この二つが同時にきちんと保たれた時期はないか、あってもひじょうに短い。だから、日本では、ロマンティックラブは成り立っていない、というのが彼の主張。

「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」の大きな特徴は、結婚は恋愛に基づくのみならず、「純潔」が大きな役割を果たしており、「純潔」という重要な要素を付け加えると「愛―性—結婚の三位一体」という形で結実するのである。しかし、日本の場合は、「純潔」の規範が健全だった頃はまだ「見合結婚」が主流であった。「恋愛結婚」が多数を占めるようになった1960年代は「純潔」の規範が揺らいでいた時期であり、「恋愛結婚」がごく一般的になった時期には「純潔」の規範はほぼ崩壊していたのである」(p.123)

1970年代に「「純潔」の規範がほぼ崩壊していた」は少し強すぎる表現のような気もしていますが、でも言わんとすることはわかる。アメリカはロマンティック・ラブの時期を1830年代から150年間くらいやってきた(イギリスはもっと長い)が、日本で、愛に基づいて結婚相手を選ぶ恋愛結婚が実質的にできるようになり、かつ性は結婚内部でのみ聖なるものとして正当化される(だから婚前交渉は不可)という純潔規範とが両立していた時期は、1960年代後半から1990年代くらいまでの長く見積もっても30年くらいしかなかった。バブル期のイケイケのセクシーな格好をしていたお姉さんたちは、意外に婚前交渉はしていなかった(純潔規範は成立していた)という話とかもあるにはあるのでまぁ、90年代までの25年から30年は成り立っていたと言ってもいいような気もします。が、それにしても、この短期間で人々の情愛の持ち方や愛情をめぐる行動様式が変わったり、新しいものが定着したりするとは考えにくい……。ロマンティックラブが定着したとはちょっと言いづらい。ロマンティックラブとは異なる恋愛と結婚の考え方があると考えた方がいい、と。

というわけで、ノッターさんの主張は、「日本の場合、近代がもたらしたのは情熱恋愛というよりも友愛結婚と呼ぶべきものである」(p.12) 。これは、日本の今の恋愛と結婚のあり方について考える上で、めちゃくちゃ重要な指摘です。

日本の近代がもたらしたのは「情熱的」というよりも「温かい」夫婦愛を特徴とする友愛結婚であった。配偶者選択家庭においても夫婦関係においても、それはまさに「近代的」と呼ぶにふさわしいものであった。(p.84)

このような議論に基づいて、ノッターさんは、「「恋愛結婚の普及=(近代家族の一側面である)ロマンティックラブ・イデオロギーの定着」という単純な等式」(p.130)を前提にすることに対して異議申し立てしている。

家族社会学のなかでも、もはや「恋愛結婚の普及=(近代家族の一側面である)ロマンティックラブ・イデオロギーの定着」という単純な等式に頼らず、文化の視点、および歴史の視点、または比較の視点を取り入れた観点から「恋愛」や「恋愛結婚というものを考え直されなければならないのではないだろうか。(p.130)

至極妥当な見解です。ノッターさんのこのご研究が出た後に、この点を考えずに恋愛の社会学を展開するわけにはいかないよなという感じが、個人的にはしています。

 4.

キリスト教圏のロマンティックって何?っていう話は、すごく大きな問いなので、次回改めてまとめますが、ここまでの議論からだけでも、ノッターさんは少なくとも、

  • 当人の愛のみに基づいて(愛の感情を最優先にして)結婚相手を決めることと、
  • 純潔規範が維持されていること(婚前の性交をしないこと、しかしペッティングはOK(それが結婚前に愛を確かめる行動)というのが19世紀アメリカのロマンティックラブ)

を、ロマンティックラブの必要条件にしていることが分かります。純潔規範を伴っているからこそ、結婚前の交際のさいに、相手の「人格」を尊重し、敬愛するという関係へと水路づけられており、それがロマンティックラブの特徴である、と。

ロマンティックラブとは、ただたんに「恋愛—結婚―性を一人の人とすべし」とか、「この順番(恋愛→結婚→性)でやらないといけない」という規範であるだけでなく、そのような規範によって、互いに相手の人格を崇拝し合い、それによって人格の価値を高めあうという、宗教的な次元に半分入り込むような情熱を伴っているもののことを指しているのだなぁということが分かります。

・日本の大正時代の恋愛至上主義という理念の確立期にも、夫婦の「人格」の対等性や、人間としての成長、夫婦生活における「人格形成」といったことが、教養主義的文化のなかで強調されたが、それは「師弟」や「兄妹」のような関係と表現されることにも見られるように、必ずしも情熱恋愛ではなかった。それゆえ、ノッターさんはこれを「教養型男女交際」(p.76)と名づけています。