1.ゼマンティク分析とは
2.ルーマンが特定したゼマンティクの変化
理想化
パラドックス化(とくに「情熱」が主要コードに)
「そのコードが指針としている行動はその意味に関連づけられたものとして分類され、同時にそうした意味から自由なものとして描写される」(p.76)
基本的なパラドックスを強化しあらわにすることは、コミュニケーションメディアが分出するためのきっかけとなる。(p.73)
・憎しみもまた愛の一部として享受される
・愛は「征服しつつ服従してしまうこと」
・愛は切望された苦悩、甘美な苦悩、選好された病気(p.93)
などなど。このあたりの愛のパラドクシカルな定式化は読んでいると本当にムカついてくるし気が滅入ってくるので、ちょっと真面目に書く気が起きません(また今度、精神状態のいいときに追記しようと思います)。
18世紀の友愛礼賛
18世紀(1701~)には愛のゼマンティクの進化は停滞します。なぜなら、この時期は友愛礼賛が起こり、愛ではなく友愛の方が価値が高いと見なされる潮流が強まったからです。友愛とはfraternityのことで、フランス革命1789年のスローガンの一つ。自由、平等、友愛!(当時、フラタニティは家父長との絆に抵抗するための男性同士の兄弟愛のことを指したということは、しっかり記憶しておきましょう。だから、フランス革命後の憲法の「市民」に女性は含まれていなかったわけですね。)
・性的関係に踏み込むことなく、それを望まない二者関係でも成立可能
で、時間的・社会的な一般化が可能であるから。
つまり、友愛(フラタニティ)は絶対王政後の新たな社会的連帯を形成するときに重要な役割を果たす理念だったんだね、と言えると思います。
注目したいのは、このような友愛重視は、センチメント(感情)を重視するものであり、細かい心遣いや優しさ、弱さ、優柔さを肯定するものであり、「女性的」な愛であるということです。これは当時においても意識されていました。そのため、公的にはフラタニティは男同士の兄弟愛であり、それをもとにして政治的・経済的な権利主体から女性を排除しつつも、友愛が女性的なものの肯定や評価も含んでいたので、私的領域では女性も含めて友愛の対象になりました。このような友愛という理念の広がりを背景にしてさらに「情緒的個人主義」(ストーン)が進展し、夫婦間のセクシュアリティの価値の向上も起こった。
ルーマンは、18世紀後半のフランスの上流階層で「性関係の解放」が起こり、これが直接的にはのちのセクシュアリティと愛の統合の可能性の源流となったのだとも言っておりますが(p.173)、これも友愛という流行の帰結だと考えている様子です。
このように、18世紀は友愛が親密な関係性における優位なコードとなったが、ルーマンによれば「友愛は他のものとはっきりと見分けられず、他のものから分出できない」ため、友愛を礼賛するだけでは親密な関係のための特別なコードを発展させることができなかった(p.123-124)とのこと。
追加的に書いておくと、
「愛は神や自分自身との関係において可能であったのに対して、友愛は他の人間との関係においてのみ可能であった」(p.121)
といったあたりのことは重要な示唆だという感じがしていますが、どう考えていったらいいのかはまだ考え中。
あと、ルーマンがどこかで、愛は性的な欲望に還元できない「愛されたい」という欲求であるというようなことも書いていて、これは素朴ながら重要な視点だという感じがしました。
再帰化(ロマンティックラブの確立)
19世紀はロマンティックラブという新たな愛のコードが登場しました。これは、愛しているということが愛の根拠になるような再帰的な愛である、とルーマンは言っています……(*´Д`)ハァ?なので、ルーマン語を私なりに言い換えてみます。
理想化というコードのもとでの愛は、愛の客体の完全性や理想性ゆえに愛するのでした。それに対して、相手の個人性・個別性を愛するのが、ロマンティックラブという愛の形式です。つまり、美しいから愛するではなく、愛しているから美しいになる、と。この場合、「なぜその人のことを愛しているの? 愛の根拠は何?」と聞かれても、「え、愛しているから愛しているんだよ」としか言えない。これが、愛の根拠が再帰的という意味であると思われます。このような再帰化としてのロマンティックラブが愛のコードになりました。
このようなロマンティックラブの構造的特徴として重要なものは次の二つです。
(1)セクシュアリティが愛の共生システムになっている
18世紀の友愛礼賛や「情緒的(アフェクティブ)個人主義」の進展のなかでセクシュアリティの価値が向上したというのは、すでに見てきたとおりです。そのセクシュアリティが、19世紀に「愛の共生システム」となりました。これによって、親密な関係性における主要コードとしての「愛」の地位が不動のものになった(p.179)。
(2)「古典的な愛のコード」としての「情熱」を召喚している
情熱が愛のコードとして進化したのは17世紀ですが、そこで成立した情熱というコードは、19世紀のロマンティックラブにおいて再度、呼び出されて用いられています。ただし、17世紀的な意味とは少し違う形で。
例えば、19世紀のロマンティックラブ(恋愛結婚)の確立において、愛は民主化し誰もが恋愛をするようになったが、そこで愛の陳腐化(平凡化)という問題に直面しました。それに対して、パラドックスを処理できる情熱というコードが「愛のコミュニケーション不能性」を付け加えることで、愛は脱陳腐化し、複雑な意味を備えたコミュニケーションになることができた。
・なんか、こういう感じに、情熱が19世紀のロマンティックラブにおいて果たした機能のようなものが沢山書かれているのですが、長くなってきたので割愛します。
①コードの形式 |
②愛の根拠づけ (愛を根拠づけ、高めるもの) |
③愛のコードの変化が取り入れようとしている問題 |
④コードに組み込まれている人間学 |
[成層社会] 理想化 |
愛はその対象の完全さ(若さ、美しさ、徳、富)に由来する |
「人間/動物」、「理性/官能性」の二元論の克服 |
理性が人間を代表 |
[1660年~1700年] パラドックス化・情熱 |
情熱 (+想像力) |
「度を越した」行為をする自由の確保 ・コピー化された愛/本当の愛 |
感情の重視 |
[18世紀] 友愛 |
隣人愛とは異なる友愛
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快楽/愛の問題 愛/理性の問題
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個人は「成長」する存在(変わりうるもの)と捉えられるようになり、愛や友愛によって社交性を身につけ成熟するという人間観へ |
[19世紀] 再帰化・ロマンティックラブ |
愛しているという事実が愛の根拠になる愛
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愛が民主化し脱階級化することで「愛の平凡/非凡」という区別の発生、愛の平凡化・陳腐化が問題に。 そこで古典的な愛のコードとしての「情熱」が呼び出される。
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愛に対する関連づけを糧にする人間学 ・愛は自由:文学によってその理想形が形作られたものであり、宗教や家族による支配を逃れたものが愛。 ・愛の民主化と共に、愛がジェンダー化され、性差が愛の根拠になる異性愛主義が起こったことも重要な特徴。
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以上でルーマンのゼマンティク分析の概要まとめを終わります。お疲れさまでした。
以下は、余力のある人に向けた補足です。
3 最後にもう一度、ルーマンの方法論とか用語とかの細かい話
社会構造とゼマンティクの関係
「ゼマンティクという思想財はそれが十分に豊かでさえあれば、社会構造の根本的変化を準備し、それを実際に引き起こし、かつその変化を人々にかなり素早く納得させることができる」(p.4)
ゼマンティクが社会構造の変化を「準備」し、「引き起こす」と明記されています。
いずれにしても、ゼマンティクはいつどのように構造に決定されるのかや、逆にゼマンティクの進化がどのような形で構造に影響を与えるのか?といった社会構造とゼマンティクの関係について、ルーマン自身は何らかのまとまった原則などを明らかにしていません。
個々の領域ごとやそこでの歴史的経緯によって、それらはすべて異なるので、一般化できないことはよくわかるのですが、このようなゼマンティクと社会構造の関係に関する原則が良く分からないので、ルーマンのゼマンティク論のなかで、突然「ここは構造要因が絡んでいる」というふうに出てきたりすると、なんだか恣意的にルーマンが構造との関連性を持ち出しているように見えてしまうところがあります。(博論の方法論としては、このようなやり方は許されない、くらいの意味ですが。)
この社会構造とゼマンティクの関係というのは、マルクス主義的な下部構造と上部構造という分析の仕方を受け継ぎつつ洗練させているものであると考えられるので、社会科学の方法論として、このようなルーマンの「社会構造とゼマンティク」型の分析はとても重要だと思っています。少なくともジェンダー分析では、すっごい使える。だからこそ、ルーマンと共にルーマンを越えて方法論的な洗練化をしていきたいところです。誰か一緒にやりましょう。
メモ: (1)の例としては、例えばこういうのがあります。