Heywood, Leslie L., 2005, The Women's Movement Today: An Encyclopedia of Third-Wave Feminism, Greenwood.の「ポストフェミニズム」の項目(p.252)の翻訳
最初に簡単にまとめてしまうと、ポスフェミとは、
(1)一般社会において、
フェミ離れの若い女性たちをカテゴライズするための言葉。おもにマスコミが使用する他称。
(2)フェミニズム内において、
現在のフェミニズムを批判する人たちをカテゴライズする言葉。おもにフェミニスト内で、自称、他称で用いられる。この場合のポストフェミニストは第三派フェミニストとの違いを言うのがけっこう難しいが、私(高橋)の理解では、カルチュラルスタディーズを含むポピュラーカルチャー研究の人はポストフェミニズムという語を用い、第三世界フェミニズムを重視するポストコロニアル研究寄りの人(文学系のフェミニズム批評の人なども含む)は第三派フェミニズムという語を使う傾向がある。
(3)フェミニズムの中の理論的立場として、
福祉国家体制から新自由主義体制へという経済構造への転換を踏まえて、個人のアイデンティティが変化していることを捉える必要があるという理論的立場(パースペクティブ)をとる人が、とくに文化的現象を捉えようとするときに「ポストフェミニズム」と言うことが多い。
~~では、以下翻訳(部分的に意味が通りにくいところは意訳もあり)~~
ポストフェミニズムという語は、異なるコンテクストにおいて異なる意味で用いられる。この複雑さは、ポストフェミニズムという語を定義することを難しくしており、また第三派フェミニズムとポストフェミニズムの間の緊張関係の中心をなしている。
アメリカ合衆国の、とくにポピュラー・プレスでは、ポストフェミニズムとは、(1)かつてのフェミニズムの獲得物(gain)を認識しているが、自分自身が「フェミニスト」とラベリングされることを拒否する人々(「私はフェミニストではないけど、しかし…」と主張する人も含む)をカテゴライズするためのキャッチフレーズとして使われてきた。
また、(2)フェミニズムへのバックラッシュ(ほとんど、フェミニズム以前の状態に戻ろうとするもの)や、フェミニストアイデンティティを主張する個人による、現在のフェミニズムへの攻撃を説明するためのキャッチフレーズとしても用いられてきた。
(3)多くのヨーロッパやアメリカの学者は、個人とアイデンティティの変化を把握するための理論的立場として、ポストフェミニズムを描いてきた。
ポストフェミニズムの存在は、現代のフェミニズムが取り巻かれている曖昧さの証拠である。第三派フェミニズムは過去を拒否することなく、定義の景観(landscape)を変えるということをしてきたが、
幾人かのポストフェミニストは、フェミニズムの黄金期をほめたたえると同時に、ポストフェミニストにとって女性の犠牲者地位を促しているような活動をしていると見える人たちのことを、こき下ろしている。
他のポストフェミニストたちは、より強い例へのアクセスや情報のなさによって苦しんでいるように見える。例えば、『タイム』マガジンは、第二波フェミニズムの運動やリーダーシップと、フェミニストロールモデルとは程遠い女性像(例えばTVキャラクターのアリー・マクビー)とを並列している。それは、フェミニスト・アクティヴィズムやリーダーシップといったものの鮮やかな事例(vibrant examples)を知らしめるのに失敗している。
このようなことを通して、フェミニズムはいまでも申し分なく生きているということは明らかだ。――そして、このような考えは、第三派フェミニズムとも相性が良いものである。
~~翻訳ここまで~~
ヘイウッドのまとめの特徴としては、
・ポストモダニズムやポストコロニアリズムの影響を受けたフェミニストたちも、「ポストフェミニズム」を名乗っていた(日本では竹村和子が有名)という点の説明がないこと。
たしかに、2000年代以降の英語圏の文献・論文をみると、ポスト・フェミニズムという言葉を使う人は、だいたい新自由主義との関係で新しいフェミニズムのあり方を論じようとする人が多数なので、こういうまとめになるんだろうと思います。