ポストフェミニズムに関するブログ

ポストフェミニズムに関する基礎文献を紹介するブログ。時々(とくに大学の授業期間中は)ポスフェミに関する話題を書き綴ったり、高橋幸の研究ノート=備忘録になったりもします。『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど :ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(晃洋書房、2020)、発売中。

赤坂憲雄 『3.11から考える「この国のかたち」:東北学を再建する』(2012、新潮選書)

「東北学」の提唱者・赤坂憲雄は、震災直後から発信していた人の一人である。

2011年4月に始まった政府の「東日本大震災復興構想会議」のメンバーであり、 また遠野文化研究センターの所長として震災者支援活動をするだけでなく、被災地を歩き回って思考を紡いだ。

 

 多くの人が被害のひどさに茫然とし、どう言葉を与えればいいのか戸惑っていた時期から、ともかくも何かしらの言葉を社会に与え続けた点で彼は偉い人だと、私は思う。だが、裏をとらずに「ともかく」喋ってしまっていることも多い。だから、精査が必要だ。それが、「東北学」という枠組みを引き受けるか否かは別としても、「東北学」という形で切り拓かれた知を前に進めていくことになる。

赤坂はいろんなことを言ってきたわけだが、そのなかで今でも考える価値があると私が思うのは、次の2つ。


1. 死をともに悼み弔うことを通した共同性が生まれている

事例①地震津波によって壊滅的に破壊された廃墟の中に、小さな霊場ができている

鳥居や、卒塔婆、救出された地蔵や観音が置かれ、花が添えられているような場が、各地にできている。

「海沿いを歩くと、いたるところに、小さな霊場や聖地が生まれつつあります。草むらのなかに卒塔婆が経て地たり、堤防のわきに花やお菓子が供えられています。一瞬にして奪われたたくさんの命、それぞれの思いや記憶が行き場もなく浮遊しているのです。二万人の魂を鎮め慰めるというのは、たいへんな仕事です。既成宗教はみな、うまく応答することができずにいますね。だからこそわたしには、人も獣も魚も草や木も「すべての命」の供養のために、という鹿踊り(ししおどり)のメッセージが深く響いてくる予感があるのです。それはたぶん、浄土思想によってデザインされた平泉という中世都市にも存在した、どこか東北的な命の哲学を宿しているのです。」(赤坂 2012:86)

 

事例②2011年の夏から秋にかけて、被災地の民俗芸能が復活した
民俗芸能には、鎮魂と供養という意味合いが込められていた。したがって、多くの人が一度に亡くなったこの時期に、民俗芸能が復活するのは何ら不思議なことではない、と赤坂は論じている。

→今後検討すべきこと

・具体的にどこの民俗芸能が復活し、どこが復活しなかったのかという基本的なデータが必要

・復活した民俗芸能が、2012年7月の『明治天皇百年祭 郷土芸能奉納』や、2014年4月の『昭憲皇后百年祭』で奉納されたということ(磯前順一氏が『死者のざわめき』(2015、河出書房新社)で指摘している)をどう考えるのか。

 

 2.今回の津波で潟に戻ってしまった場所は、明治30年代の国家事業としての干拓によって陸となったところだ。人口8000万人の日本列島の姿を見据え、そこが再び潟や浦に戻っていくこともあるのではないか。例 八沢浦

 
明治30年代に干拓が行われて田んぼになったところが、津波に洗い流されて、潟のようになっている。浦に戻ったのだ」(赤坂 2012:48)

「妄想のように受け取られるとは思いますが、こんなシナリオはどうでしょうか。それは潟や浦といった自然生態系をそのままに受け入れることです。百年前の八沢浦には、風光明媚な潟が広がっていて、そこで漁が行われ、塩づくりが行われていました。日本の近代は潟をひとつひとつ壊し、水田に変えてきましたが、潟というのは生物多様性の宝庫だったのです。日本的な海辺の風景がそこに凝縮されていたのです。」(赤坂 2012:94)

 

私はこの議論に関しては、かなり反発をおぼえます。 今後、より丁寧に考えていきたいと思います。