ポストフェミニズムに関するブログ

ポストフェミニズムに関する基礎文献を紹介するブログ。時々(とくに大学の授業期間中は)ポスフェミに関する話題を書き綴ったり、高橋幸の研究ノート=備忘録になったりもします。『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど :ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(晃洋書房、2020)、『恋愛社会学』(ナカニシヤ出版、2024)発売中。

1980年代のポスター批判運動を知ろう(『ポルノ・ウォッチング:メディアの中の女の性』1990年、行動する女たちの会)

この本は、大変ユーモアにあふれています。怒りで動いてはいるんだけど、他者にプレゼンするときには、その怒りや不条理さの感情から距離をとって、面白く伝えようとしています。このような態度に至るまでには、ものすごい労力と、持続的な怒りがあっただろうということが透けて見えるので、私はものすごい感銘を受けています。彼女たちの本気度はやばい、この人たちはマジで伝える気がある、本気を出すとはこういうことなんだよな、と私は思っています。怒るのももちろん重要。だけど、その怒りを共有して持続的な活動に結晶化していくことがなにより重要。
実際に運動をやってきた人がよく言うことの一つに、運動は楽しくやらないと持続しないというのがあります。本当にそうだなと思います。みんな楽しくがんばろう。
 
さて、80年代から90年代にも女性表象ポスター批判がなされてきました。フェミニズムのセクシズム表現批判に対して「表現の自由」派が異論を唱えるの構図はこの時期にすでにあります。今の萌え絵ポスターをめぐる議論の構造はこの時期の展開をなぞっている感があって、「はぁ人間同じことを繰り返しているだけだなぁ」と私は若干げんなりしています。もうちょっと現代ならではの面白い議論の展開があってほしいよ*1
 
ただ、社会的背景をみると80年代と今の違いはあって、その点はかろうじて面白い。
80年代は性解放が進行していた時期なので、性的に解放的である方が「進歩的」(=都会的、時代の先端を行っている)と捉えられやすかった。そのため、「性的にあからさまなポスターは女性にとって不快だ(性差別的だ)」と訴えても、「今の若い人はこれくらいの表現なんとも思っていませんよ、むしろそんな保守的なことを言っている方がダサいですよ」的な扱いを受けがちだった。それに対して、現在は性暴力や性被害に関する社会的意識が高くなり敏感にもなっているので、同じことを言っても社会的に理解されやすいかんじがある(だからかつてポスター批判をされていた方たちの方がいまよりも10倍くらい大変だったはず。先人のご尽力に感謝。そして、われわれもがんばろう)。
 
かつて問題になったポスターとして、酒造会社「三楽」のバーボンウイスキー”ローリングK”の広告。(山口さんのツイッターを埋め込ませていただきます)
 

 

それから、西武園の「焦がれて、夏!」の美女水着ポスター。

などなど。他、各地のポスターに関する地道な抗議活動があります。

で、これらの地道な活動の蓄積を受けて、2000年代に「男女共同参画の視点からの公的広報の手引」作成がなされたという流れになります。そういえばさいたま市が手引きの改訂を近年やっておりましたね。それあとで、下記の記事に追記せねば。 

ytakahashi0505.hatenablog.com

 

 

*1:

青識さんには、オタクならではの新しい論理展開を期待しているところです。
小宮さんはかつて、青識さんは自分の議論が立てられないとご指摘されており、#シンこれフェミに参加してくださった友人も、青識さんは自分の立論がないし、フェミニズムについてまじめに議論する気もなくて、ただ相手がぼろを出すのを待っているだけだから研究者が出ていく価値はないと言っておりました。たしかにその通りなのですが、オタク界隈の議論の蓄積はあるわけだし、青識さんなんか面白い立論してくれれば張り合いがでるんだけどなぁー。というわけで、ツイッターのDMで、青識さんにゲーム的リアリズムをめぐるこれまでの議論の展開の解説をしたりしている。東の「反家父長制/超家父長制」、宇野の「レイプファンタジー」のあたり。面白いことになるといいんだけど。