1980年代のフェミニズムによるポスター批判運動がどのようなものであったのかについては、『ポルノ・ウォッチング:メディアの中の女の性』(1990、行動する女たちの会)を読むとよくわかります。
この本は、大変ユーモアにあふれています。怒りで動いてはいるんだけど、他者にプレゼンするときには、その怒りや不条理さの感情から距離をとって、面白く伝えようとしています。このような態度に至るまでには、ものすごい労力と、持続的な怒りがあっただろうということが透けて見えるので、私はものすごい感銘を受けています。彼女たちの本気度はやばい、この人たちはマジで伝える気がある、本気を出すとはこういうことなんだよな、と私は思っています。怒るのももちろん重要。だけど、その怒りを共有して持続的な活動に結晶化していくことがなにより重要。
実際に運動をやってきた人がよく言うことの一つに、運動は楽しくやらないと持続しないというのがあります。本当にそうだなと思います。みんな楽しくがんばろう。
ただ、社会的背景をみると80年代と今の違いはあって、その点はかろうじて面白い。
80年代は性解放が進行していた時期なので、性的に解放的である方が「進歩的」(=都会的、時代の先端を行っている)と捉えられやすかった。そのため、「性的にあからさまなポスターは女性にとって不快だ(性差別的だ)」と訴えても、「今の若い人はこれくらいの表現なんとも思っていませんよ、むしろそんな保守的なことを言っている方がダサいですよ」的な扱いを受けがちだった。それに対して、現在は性暴力や性被害に関する社会的意識が高くなり敏感にもなっているので、同じことを言っても社会的に理解されやすいかんじがある(だからかつてポスター批判をされていた方たちの方がいまよりも10倍くらい大変だったはず。先人のご尽力に感謝。そして、われわれもがんばろう)。