ポストフェミニズムに関するブログ

ポストフェミニズムに関する基礎文献を紹介するブログ。時々(とくに大学の授業期間中は)ポスフェミに関する話題を書き綴ったり、高橋幸の研究ノート=備忘録になったりもします。『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど :ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(晃洋書房、2020)、発売中。

女性の性的主体性についての論文を投稿しました。その引用文献の一部を紹介。

(ふわっとした前置き長めです)
 ラディカルフェミニズムは、現代社会の「男性による女性支配」や「男社会」は性的なもの(セクシュアリティ)を通して完成しているのだと言いました。たしかに、女性を性的対象として捉えたり扱ったりするときには、人や場合によりますが、ときに蔑視や格下げ(「仲間」や「対等な相手」ではなく「女」)が伴うことがあります。だから、この話は、現在でもまだ通用するものだと思います。
 ラディフェミは、恋愛(ロマンティックラブ)によっても、男性による女性支配や男社会の再生産が起こっていると論じました。例えば、当時はびこっていた「母性愛神話」(母は子どもを「本能的に」愛するのだ的な)や、「ロマンティックラブイデオロギー」(恋愛と結婚と性を一人のパートナーとすべし、これはいまでも一般的なので、はびこっていたとか言ってはいけませんね)を問題視し、これらの愛情規範が女性を家庭に縛り付けているのだと批判しました。
 これらのラディフェミによる告発は、意義のある重要なものだったと私は考えています。が、現在という地点のなかで考えてみると、「性関係を通して男に都合のいい社会が作られている」まではなんとか首肯されても、「恋愛を通して男性による女性支配が起こっている」という命題は、なかなか受け入れられがたいのではないかと感じています。
 そう私が感じている理由のひとつに、「恋愛の場においては女性の方が強者」という考え方がある(ように思われる)からです。性的欲望を持たされてしまっている男の側の方が、交渉上立場が弱いから、恋愛や性の駆け引きの場では、男の方が弱い。女は、男からのアプローチを受けたあとに、フるか受け入れるかの選択権をもっているから、恋愛において主導権を持っている強者は女だ、というような考え方がある(ような気がする)。
 しかし、私個人としましては、男が作った「恋愛関係」の中で期待される女性役割を演じさせられる女は、別に強者ではないんだよなーという気がしています。女性の外見をしているというだけで、自分が望まない形で恋愛や性の関係に巻き込まれ「選択」させられる状況に置かれるということの苦しさや生きづらさというのがあると常々思っているのですが、これについてがっつり論じている論考に、いまだ私は出会っていない。あ、江原先生の『ジェンダー秩序』がいちばん、このあたりをがっつり論じていますかね。でもあれは「恋愛論」という形ではなかった。私が恋愛論で書きたいと思っていることはこのあたりにあります・・・のですが、
 まぁ、まずは、日常感覚として世俗的に経験されている「恋愛や性の駆け引きにおいては女性の方が強者」感を把捉するための概念を確立しておく必要があります。「恋愛関係においては、女は男と対等に戦えている」感は、現在のヘテロセクズムなロマンティックラブという関係に社会適応できた女性自身によっても持たれています。そこをきちんと概念としておさえていかないと、フェミニズム的恋愛批判論かもしくは恋愛称揚論のような一面的な恋愛論になってしまう。
 と、ふわっとした前置きが長くなりましたが、そのために、今回の論文では、Liss &Erchull 2011のセクシュアリゼーション享受(Enjoyment of sexualization、ES)尺度を論じました。これは『性関連評価尺度ハンドブック(第4版)』(2019)にも収録されており、この尺度を使った研究も蓄積されてきています。「他人の性的注目を集めることを楽しむ」態度の度合いを測定するもので、自分を「セクシーだと感じることが好きか」、「自分が美しく見えることでエンパワーメントの感覚を持つか」、「異性からの性的な注目を集め」たり、「異性に外見を褒められ」たり、「口笛を吹かれ」たりすることを肯定的に捉えるか等の質問項目から成り立っています。ちなみに、発展版となる「性は力尺度(sex is power、SIP)」尺度(Erchull & Liss, 2013)もあります(これについては、以前このブログで書きました)。
 「口笛を吹かれる」というのはつまり、ストリートを歩いているときに「お、いい女!」という意味で「口笛を吹かれる」というやつで、キャットコーリングと呼ばれ、「ストリートハラスメント」として第三波フェミニストたちが問題視しているやつですね。私も、ストリートハラスメントは本当に不快だ失礼だと思っているフェミニストの立場です。ただ、「自分が仲良くなりたいと思っている相手の気を引けたときは楽しい」という意味でのenjoyment of sexualizationの意味は分かるという立場でもあります。このあたりをきちんと分節化して理路整然と恋愛を論じることって重要です、こんどやります。
 
Liss, Miriam, Erchull, Mindy, J., & Ramsey, Laura R. (2011). Empowering or Oppressing? Development and Exploration of the Enjoyment of Sexualization Scale, Personality and Social psychology Bulletin, Vol.37, No.1, pp.55-68.

————. (2019). Enjoyment of Sexualization Scale, Milhausen, Robin R., Sakaluk, John K., Fisher, Terri D., Davis, Clive M., & Yarber, William L., (ed.). Handbook of Sexuality-Related Measures, Routledge, pp.159-160.

 

 で、この尺度を使った研究を見ていくと、色々と面白いです。例えば、アーチャルとリス(2014)は、「セクシュアリゼーション享受」得点の高さと、オーガズムに達したフリをする「フェイクオーガズム」を行う頻度の高さに相関があることを実証しています。女性がいったフリをする「フェイクオーガズム」というのは、一般的には性的パートナーの性的スキルに確証を与えるためになされるパフォーマンスであると解釈されており、自分の性的快楽よりも「相手のために」なされるものと考えられています。実際には、早く終わらせたいからいったフリをするというような細かい(けれども大事な)ことは色々あるのですが、少なくともフェイクオーガズムは「女性の性的満足度の向上」には貢献していないことが多いと解釈されることが多い(アーチャルたちもそう解釈している)。
 ここから、「男性に性的に注目されるのが楽しい」「男性が自分の性的魅力に魅了されていると、男性を意のままにできているような気がして権力感が持てる」と考える女性たちは、過度に相手からの評価を気にしたり、相手との関係をうまくやろうとして女性役割を演じたりしすぎるために、自分自身の性的満足感を高めることができていない可能性があるということが見えてきます。
 つまり、女性におけるESの得点の高さとフェイクオーガズム頻度の相関からは、(本人たちは、ESを「女性の性的エンパワーメントの一つだ」と主張するけれども)本人たちがいうほど「性的エンパワーメント」が達成できているわけではないのではないか、ということがと見えてくるということができます。

Erchull, Mindy, J., & Liss, Miriam. (2013). Exploring the concept of perceived female sexual empowerment: Development and validation of the Sex is Power Scale, Gender Issues, Vol.30, No.1-4, pp.39-53.

————. (2014). The Object of One’s Desire: How Perceived Sexual Empowerment Through Objectification is Related to Sexual Outcomes, Sexuality & Culture, Vol.18, pp.773–788.

 

 リスとアーチャルの研究グループによるここらへんの研究は、けっこうおもしろくて、アーチャルとリス(2013)は、ES得点が高くてかつ自分を「フェミニスト」だとする女性を見ると、このフェミニストは、「家父長制的抑圧に焦点化するラディカルなフェミニズムイデオロギーを支持するフェミニスト」とは異なる、「男女の平等というリベラルなフェミニズム的関心を持つフェミニスト」であるというふうに特徴をまとめている。

 セクシュアリゼーション享受(ES)の得点が高い女性たちが「保守的」なのかそれとも「解放的」な思想の持ち主なのかについては、従来の「保守性/解放性」の二分法では整理しきれない独特な態度が見られて、「セクシスト信念」(敵対的セクシズム並びに好意的セクシズムによって測定)が高く、いくつかの伝統的な女性的規範(女性として「ナイス」であることやロマンティックな関係を重視すること)が見られる(=保守的)が、「多様な性的パートナーを受け入れる態度」との相関も高く、部分的に「非伝統的」な態度もあることがわかる(Erchull & Liss, 2013, p.2342)。

 だから、男性の性的まなざしを肯定的に受け止めて、女性としての性的エンパワーメントだと主張する女性たちが、保守女性なのかそれとも解放的な女性なのかということは一概には言えない問題。

 

*その他、思春期の女性のセクシュアリティを専門とする心理学者デボラ・トールマンの、女性心理学会賞(the Association for Women in Psychology)を受賞した著書『欲望のジレンマ:セクシュアリティに関する10代の少女たちの語り(Dilemmas of Desire: Teenage Girls Talk about Sexuality)』([2002]2005)にも言及しました。

Tolman, Deborah. ([2002]2005). Dilemmas of Desire: Teenage Girls Talk about Sexuality, Harvard University Press.

————. (2012). Female adolescents, sexual empowerment and desire: A missing discourse of gender inequity, Sex Roles, Vol.66, pp.746–757.