女性向け記事サイトが充実しておりますよね。
そこで今日収集した、興味深い話をまとめておこうと思います(メモ代わり)。
「おっさんたちにすれば純愛のつもりかもしれないけど、女の方が立場が下なんだから断れるわけない。偉くなったなら、それくらい知っとけ」まさにブーメラン。普通に恋愛をしたり、好意を持ったりしているつもりが、ハラスメントに近づいていく。そう考えると怖くて寂しい。年を重ね、キャリアを積み、できることが増えるということは、それだけ人を思うままに動かす力も増すということ。もう「イノセントな好意」は、時としてハラスメントにもなりうる。
という話ですね。かつては圧倒的に「女性(下)が男性(上)」の枕営業が多かったわけですが、これの男女逆転が起こった時、それはかつての「枕営業」と呼ばれたものと同じものなのかは、議論の余地がある問題だと、こちらの記事を読んで気づきました。
ここをきちんと議論しないと、「だから仕事関係では恋愛や性はしない方が無難だ」という禁欲的かつ短絡的な話になり、そうすると当事者は道徳的非難を浴びるのが怖くて声をあげづらくなり、問題が内閉化して深刻化するというのは、様々なケースで繰り返されてきた悪化パターンです。
ちなみに、いろんな統計を見ると、だいたい今でも結婚相手と出会うきっかけは「仕事」が3割、「友人・兄弟(からの紹介)」が3割。「仕事で恋愛するな」という主張は、ピューリタン的な無理のある主張だと社会学者的には言わざるをえません。
・というわけで、女性が枕営業されることについての事例収集と検討という議論は、長期的にゆるくやってもいいかもしれません(どなたか、これを専門として「研究者になる」のはちょっと難しいかもですが、サブテーマくらいに設定してご研究なさってくださいませんかね)。女性が枕営業されることを分析対象にしつつ、仕事関係における恋愛のあり方や、古典的な「男が枕営業されること」について、かつてからより一歩深めた繊細な議論ができるようになると、文化の成熟という感じもします。
まず、ここで言われている「女子割」とは、「女性扱い」のことで、おそらくおごってもらえる、よくわからないがちやほやされる的な「女性だからこそ「得」できていること」が想定されているものと思われます。
で、こちらの記事に関して、絶対に指摘しておいた方がいいと思われるのは、「女子割」が効かなくなったから、フェミニストになるわけではないという点ですかね。「女子割」に何が付随しているかを経験したがゆえに、あれは何かがおかしかったとモヤモヤするので、フェミニズム的主張が心に響くという論理ではないかと思います。
では「女性扱い」に何が付随していたのかと言えば、この記事で言われているような生涯賃金の格差とか、家事労働の不均等配分とかというよりも(もちろんそれもあるかもしれないが)、「女性をちやほやする」という行動自体に潜んでいる性的モノ化とか好意的性差別とか(性的魅力で価値を測定したり、女性を序列化したり)、最終的に決定権限を持つ「仲間集団」から女性であるということを理由に外されるといった経験とか、そういうことなのではないかと思います。
ここらへんの、日常的になされている性別による暗黙の切り分けによって発生している不当性が、まだきちんと言語化されておらず、ただなんとなくおかしいぞ、という感情だけが積もっているのが、現在なのかな、と私は思っています。
・というか、「女子割が利かなくなったかフェミニストになる」は、アンチフェミが言いそうな論理であぶなすぎる。パッケージがフェミニズムを支持する記事っぽいのがさらにやばい。フェミニストの皆さん、ちゃんとこういうのには声を上げて反論していきましょう。
で、こちらの記事に関して、絶対に指摘しておいた方がいいと思われるのは、「女子割」が効かなくなったから、フェミニストになるわけではないという点ですかね。「女子割」に何が付随しているかを経験したがゆえに、あれは何かがおかしかったとモヤモヤするので、フェミニズム的主張が心に響くという論理ではないかと思います。
では「女性扱い」に何が付随していたのかと言えば、この記事で言われているような生涯賃金の格差とか、家事労働の不均等配分とかというよりも(もちろんそれもあるかもしれないが)、「女性をちやほやする」という行動自体に潜んでいる性的モノ化とか好意的性差別とか(性的魅力で価値を測定したり、女性を序列化したり)、最終的に決定権限を持つ「仲間集団」から女性であるということを理由に外されるといった経験とか、そういうことなのではないかと思います。
ここらへんの、日常的になされている性別による暗黙の切り分けによって発生している不当性が、まだきちんと言語化されておらず、ただなんとなくおかしいぞ、という感情だけが積もっているのが、現在なのかな、と私は思っています。
・というか、「女子割が利かなくなったかフェミニストになる」は、アンチフェミが言いそうな論理であぶなすぎる。パッケージがフェミニズムを支持する記事っぽいのがさらにやばい。フェミニストの皆さん、ちゃんとこういうのには声を上げて反論していきましょう。
「女子割」は若い時に使いやすい。で、若い時にこれに甘んじすぎちゃうと、世の中の不平等さに気づくのが遅れる。「あれっ?」と思った時には、声を出しにくくなっている。「これに不満を感じているのは私だけ?」と不安になる。
だけど私たちはそのうち知るんですよね。
「女子割」がきかなくなったあとの現実を。
(私は若い時から「女性扱い」に辟易して困っていて、でも誰にどう相談したらいいかもわからないという意味で二重に困っていたのに、「使いやすい」とか、「甘んじている」とか言われると悲しい気持ちになる。「女性扱いされること」を選択したり拒絶したりする権限がそもそもなかったぞ、ということは声を大にして言っておきたい。)
以上、telling, さん、ネタのぶちこみ方は、素晴らしいです。でも、論理的な詰めは甘いです。が、諸々含め長期スパンで見ればいいんじゃないでしょうか! これからも楽しみにしています。