ポストフェミニズムに関するブログ

ポストフェミニズムに関する基礎文献を紹介するブログ。時々(とくに大学の授業期間中は)ポスフェミに関する話題を書き綴ったり、高橋幸の研究ノート=備忘録になったりもします。『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど :ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(晃洋書房、2020)、『恋愛社会学』(ナカニシヤ出版、2024)発売中。

大塚英志の「少女フェミニズム」

(注記:愛妻家として知られていた江藤淳のDVの話が5.以降で出てきます。無理な人は読まないでください。)

 

江藤淳と少女フェミニズム的戦後』(大塚英志ちくま学芸文庫、[2001]2004)

江藤淳は「少女フェミニズム」的だというのが大塚のこの論考での主張。

 

 1.「少女フェミニズム」とは     

 「少女フェミニズム」というのは一般的な言い方ではないので、おそらく大塚さんの造語。少女フェミニズムの代表例として、大塚は上野千鶴子を挙げている。大塚に言わせると上野は「リブの流れを継承するいわゆるフェミニズム」とは違っていて、「少女マンガ的な繊細さをもっているというのが僕の印象として一貫してある」(大塚 [2001]2004:85)。少女フェミニズムというのは「「女の子」的な私に輪郭を与えていく言語としてのフェミニズム」(大塚 [2001]2004:85)であるという表現もみられる。

 (高橋のコメント:たしかに、上野は、消費社会とマスコミの論理をうまく使った人だ。上野の消費社会との相性の良さを指して、大塚は「少女マンガ的繊細さ」と言っている。だが、上野は同時にリブ的なもの、つまり運動の論理を継承した仕事もしているので、大塚のように二つのフェミニズムがあって、そのどちらか一方だけを上野さんがやってきたかのように語ることには慎重であるべきだろう。)

 

2.江藤淳はどう少女フェミニズム的なのか 

 江藤と少女フェミニズムをつなぐのは、江藤が幼い頃に亡くした実母への憧憬(ロマン的想念)である。

  江藤は、最後まで一貫して亡き母との関係において自分を考え、戦後日本を考えた思想家だった。江藤の実母は、近代的な思想を持つ女性(モダンガール)だったが、結婚後、家制度の犠牲となって崩壊していった(死んだ)。そのため、江藤は、この母を救うことを実存レベルの欲求として持っていた。その欲求は、家制度から解放された近代的女性が、それでもなお「崩壊」せずに生き生きと生きられるような世界を夢見ることへとつながっていく。これが江藤淳の少女フェミニズム的態度となったという話。このことを、大塚は、江藤の「文藝賞」選評から読み解いている。

 つまり、江藤が自らフェミニズム的な主張を直接していたというわけではない。だが、江藤の選評を読み解くと「(江藤は)明らかに「人工的な空間」で生き生きと暮らす、あるいは庇護される女の子にひどく甘い」(大塚 [2001]2004:101)ということが見えてくる。この点をもって、大塚は、江藤が不在の母を介して少女フェミニズムに到達していたと論じている。

(高橋コメント:「女の子に甘い」=フェミニズムという論理展開に時代を感じる(古い!)わけですが)。

 

「江藤は、近代、あるいは高度成長を経たこの国が母を宿命的に自己崩壊せしめてしまうからこそ、彼女たちのために彼女たちを庇護する「人工的な空間」を夢想するのである。江藤淳にはそういう少女フェミニズム的な感覚が見え隠れする。…それはうまく言えないが江藤にとって母が崩壊しない場所へのある種の憧憬ではないのか」(大塚 [2001]2004:101)

  江藤は、崩壊した(死んだ)母がもっていた可能性が実現される社会――近代的女性が近代的女性のままで生きられる(崩壊しない)社会――を理想的なものとして夢想していたのだ、という話。 

 

 3.大塚の議論の骨子  

 江藤には、不在の母に対する強烈な思慕があり、それが保守思想家江藤を、少女フェミニズムに近い立場へと導いたということはわかったが、江藤の議論を成り立たせている前提を整理しないと、話がよくわからないところもある。ちょっと整理しよう。

  前提:近代において「母」は崩壊する :←ここはよくわからない

 ここで言われている「母」とは、大日本帝国体制下の家制度において成立していたある特定の「女性性」の形式のことであろう。だが、なぜこれが、戦後日本において崩壊すると考えられているのかは不明。端的に、江藤の実母が死んだからなのではないかと邪推していますが、それ以外のロジックがあるのかどうか、今度『成熟と喪失』再読します。

  ともかく、これを前提としたうえで、

 帰結:だから、戦後の女性たちは(近代において)、母になることを遅延し、少女であり続けようとしている。これが少女的フェミニズムである、 という議論になっている。

  上野さんが『成熟と喪失』を涙なしには読めないと言ったそうだから、何か響くものがあったのだろう。大塚は、「近代化の進展による女性性の崩壊」のありさまが書かれている点が上野に涙させたのではないかと論じている。上野さんが江藤淳のことをどう論じているかは、別に検討すべき問題だ。

 

4.大塚英志の議論の鋭いところ 

 大塚が彼なりに少女フェミニズム的な議論を展開しているところで、すごく鋭いことを言っている箇所だけ確認しておきます。

 

建前としてはもはや母のように生きなくてもいい社会と、もはや父のように生きなくてもいい社会が男女に等しく開かれたのが戦後であったとすれば、しかしその戸惑いは男女間で決定的に異なる。

 

父のように生きなくてもいいというのは一種の禁忌が男に課せられたことと同義である。『抱擁家族』も「なんとなく、クリスタル」(ママ)も、男が間男される物語であるのは、『アメリカの影』ふうにいえば、男性原理はアメリカが見えない形で代行するから、ということになる。

 

その一方で社会制度的には家族形態や職業選択は男性原理的なラインが引かれているから男たちは「父」にならないのなら一体何になるのかを問うことは実際にはやり過ごすことが可能だった。

 

それに対し女たちはもはや「母」のみが選択肢ではない、といわれたとき、それは禁忌からの解放だった。しかしそこには何一つ新たな規範は示されておらず、他方では理念とは裏腹に現実の社会制度下では女たちは男性社会の壁や軋みを一身に背負う。

 

男たちが脆弱な「ぼく」しか作れず、それに対して女性たちが「わたし」という輪郭をそれなりに確かなものにしていったのはそう考えれば当然の帰結なのである。(大塚[2001]2004:93‐94)

 

 ちなみに、私は、坂口安吾が戦後に書いたような、パンパンの登場(「坂口安吾 パンパンガール」)や女性の性的エネルギーの「健康さ」(「坂口安吾 戦争と一人の女」「坂口安吾 続戦争と一人の女」)を称揚する態度には、若干懐疑的。なぜなら、この議論は、容易に、敗戦で傷ついたのは「日本の男(男性性)」であって、女は傷ついてないみたいな論調に横滑りしていくからだ。(私は坂口の「戦争と一人の女」は作品としては、力のあるいい作品だと思っている。単純に好きでもある。だけど、読んでいると、坂口安吾がこれを書いていた時代には、世間一般では「女性は簡単に強者の方に寝がえりやがって卑怯者だ、日本国に対する裏切り者だ」みたいな感覚があったんだろうなぁということも透けて見えてしまう。それが…悲しい。)

  この点に注意を喚起したうえでならば、大塚が上記で言っているような、「父にならなくてもいい」が解放と感じられる程度よりも、「母にならなくてもいい」が解放と感じられる程度の方が大きかった、というのは当たっているのかもしれないなと思う。

  (高橋コメント:ただ、やっぱここらへんの批評界隈で言われている「父」や「母」って、すんごい比喩。宇野常寛さんの『母性のディストピア』(2017)も、「母」概念が多義的すぎるために、分かりにくくなっているような気がしています。宇野さんの当該書では、私が分析しえた限りでは少なくとも異なる3つのことがらが、同じ1つの「母」という概念で言われている。それが議論を分かりにくくしている。)

 「母の崩壊」(江藤淳)と言われても、いまでも実際に年間100万人弱、今だと96万人くらいの子どもが日本国内で毎年生まれてるしなぁ…(困惑)という素朴な疑問もあり。)

 

5.大塚の議論の不十分さ:引き継いでさらに議論していくために 

 というわけで、ちょくちょく、私のコメントを挟みつつ大塚が論じる江藤の少女フェミニズム性を見てきました。なんか、否定的コメントというか留保をつけるコメントが多かったですが、基本、私はこの本は結構素晴らしいと思っています。

  まず、少女フェミニズムという概念を作ったところが偉いし、保守の思想家・江藤淳の中に少女フェミニズム的態度を見出したところがエライ。

 保守思想家・江藤とフェミニズムをつなげることは、フェミニズムにとっても、江藤論者にとっても、思想的ふくらみを持つので有意義な気がします。

(より細かいことを言うと、少女フェミニズム江藤淳をつなげるときに、サブカルが媒介項になっています。今回はそこはフォローせず)

  大塚さんのこの議論は、主題設定としても面白かったし、具体的議論もとても面白かったが、最後まできちんと論じ切られていない論点が一つ残っている。それは、江藤が妻を殴っていたという事実と、江藤の少女フェミニズム的態度とを、どう理解し、位置づけたらよいのかという問題だ。

 

「それにしてもなぜあざができるほど殴ったのだろう?「楽しくなれ、楽しくなれ」と相手を殴っているのはこっけいな話だ。殴られて陽気になる人間はあるわけはない。私は家内を遠ざけ、暗くしていくなにものかと戦っているはずだが、それが家内のなかにあるものか外にあるものかがわからない。それともそれは私のなかにあるなにかなのだろうか。」(江藤淳『成熟と喪失』、大塚 ([2001]2004:36)からの孫引き)

  江藤の妻への暴力は、①家長を気取るも建付けの悪い家ばかり選んで住み(もちろん貧しかったというような外在的要因もあるだろう)、妻の体調悪化をまねいている、②とうとう鉄筋の分譲アパートに住み始めると、その家の中で江藤自らが妻を殴って傷つけるようになる。

 『成熟と喪失』のなかの『抱擁家族』の議論を引き受けて、大塚は、江藤における「家」と妻のあり方に着目して議論をしているわけですね。

  大塚は江藤の妻への暴力を、次のように解釈している。

 

若い批評家(江藤淳)はその母体の喪失という甘美な痛みを麻薬のように反復するために不完全な「家」で「妻」の崩壊を何度も再現してしまうのである。そのように母の崩壊という甘美な体験を反復する役回りを「妻」は負わされた、とさえ言ってよい。(大塚[2001]2004:45)

 

 これはとても妥当な解釈だ。実際、下記のようにまとめてみると、江藤の妻は、「母」を反復している。というか、少女のままで(つまり母にならない)ので、家制度の犠牲にはなっていないかもしれないが、夫によって殴られることで「崩壊していく」。 

 

             江藤の母   80年代の「少女」   江藤の妻

家制度の犠牲になる

(=崩壊していく)      ◯       ×         ―

人工的楽園で守られる     ×       〇         ×

 夫に殴られる

(=崩壊していく)      ー        ×          ◯

 

そして、

「ぼくは江藤の「母の自己崩壊」という甘美なロジックを、男であるがゆえに肯定的にこれまで言及してきたし、本書に収録した江藤論もすべてその延長にある。だがやはりそのことにもはや批評的でなくてはならないとぼくは考える」(大塚[2001]2004:40)

 

 という大塚の決意表明も見られる。大塚は、江藤の妻への暴力と少女フェミニズムとの歪んだ関係について、考えていたはずだ。だが、この二つをどう関係づけて考えればいいのか、そこにある歪みが何なのか、といったことを論じきってくれてはいない。

  だから、本書を読んでしまった人(私たち)が続きを考えていく必要があるんだろうと思う。

  

6.不在の母を救うための理念的フェミニズム/現実の妻への暴力という亀裂について 

  江藤の少女フェミニズムは、不在の母への憧憬から発するものであり、「少女としての母」(モダンガール、近代的思想を身に着けた結婚前の少女)が生き生きと生きられる社会を善とする思想から発する。

 たしかに、江藤は、現実においても自分の妻に「母」なることを「強い」はしなかった。しかし、現実の妻(少女のままの妻)は、それでもなお、江藤を家長とする家庭の中で崩壊していった。

  江藤が、妻を「母」にさせず「近代的少女」のまま、近代的な楽園としての快適な家の中で守り通したよという話なら、江藤の少女フェミニズムは筋が通っている。家長的保守思想家が、結果的行動的に見ると、フェミニズムと共振した事例として理解することができる。

  しかし、大塚が見出した「江藤の少女フェミニズム」は、すでに死んでいる(全世代の男たちが殺した)不在の母を救うものであっても、現在生きている妻を救うものではなかった。これが、最大の問題点であり、江藤的な少女フェミニズムの限界点なのではないか。

 私の議論の結論:江藤淳の少女フェミニズムはロマン的想念(理想化された女性への憧憬)に基づくフェミニズムちっくな思想のあやうさ(罠、トラップ)の典型例である可能性がある。

 少なくとも、「女に甘い」という意味での「フェミニスト」(←古い)は、逆に「女の敵」になることが時々あるの残酷な具体例になってしまっているという話でした。

 

 7. おまけ 

  ちなみに、江藤が妻を殴ることについて、どんな自己正当化の論理を持っていたのかについても大塚さんはきちんと言っています。ほんと勉強になります、この本。

 

若い批評家の言葉の中ではそのふるまいに対してさえ、どこかでそれは「子」である自分を裏切った「母」、つまり「妻」の責なのだという論理があらかじめ成立している。免罪の論理がその批評の中に滑り込ませてある。妻への被害者意識を吉本が漱石論への指摘の形でさらりと語って見せたように生涯、江藤は捨て去れなかった。だから「母」は江藤の批評の中で繰り返し崩壊しなくてはならないのであって、同時に生身の「移行対象」である「妻」は繰り返し「日本と私」の中で傷つかなくてはならなかったのである。」(大塚[2001]2004:45)

 

 ポストモダンのポストフェミニズム状況に生きる我々は、とりあえず、「「母」、つまり「妻」の責なのだ」の「つまり」のつながり方が理解できないわけですけど、「女」として母と妻がひとつながりにつながるという感覚を持っていた時代があったのですよね。

  「女」はぼくちゃんを裏切る存在だという女への憎悪がある。ここで言われる「裏切り」とは、母子癒着の状態から、子どもが引きはがされることを指している。母子分離を子どもの側は「母の裏切り」だと感じていて、だから母=女に対する根底的な憎悪(と依存心)があるというような議論が、そういえばありましたよね。忘れかけていたけど。

  「女」に対する憎悪と、ぼくちゃんの被害者意識。これに基づいて、妻を殴ることを正当化する。外部から見ると、まったく正当化できていないのですが、少なくともこういう論理がかつて(そしていまもかもしれない)通用していたのでした。

 こういう意味わからんレベルにまで降りていって考えてみるのも、たぶん必要な作業なんだろうと思っています。つーかそうじゃないと、不条理な暴力の恐怖からは解放されえないので。