ポストフェミニズムに関するブログ

ポストフェミニズムに関する基礎文献を紹介するブログ。時々(とくに大学の授業期間中は)ポスフェミに関する話題を書き綴ったり、高橋幸の研究ノート=備忘録になったりもします。『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど :ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(晃洋書房、2020)、発売中。

女性の男性に対する敵対的/好意的セクシズムについて

【論文紹介】阪井俊文, 2007,  「セクシズムと恋愛特性の関連性の検討」,『心理学研究』第78巻,第4号:390-397.

 

 セクシズムとは「人を性で区別すること」くらいの意味であり、性差別(sex discrimination)とは異なります。

 敵対的セクシズムや好意的セクシズムは、男性の女性に対するものだけでなく、女性の男性に対するものも、当然あります。

  両価的セクシズムを提起したのは、グリック&フィスクら(1996)の研究ですが、女性の男性に対するセクシズムにも焦点を当てています(Glick & Fiske 1999)。 

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(阪井 2007:397)

 このブログを書いている筆者(高橋)は、女性の位置づけを次のように考えています。

 現代社会において、女性はいまだいくつかの観点から「マイノリティ」や「弱者」だと言えるところもある(つまり、マイノリティとはたんなる人数の問題ではないという立場を私はとっている)。

 しかし、女性は現在の社会構造下で全面的に抑圧された存在であり、全面的に弱者であるという考え方は、有効ではない。どの点で弱者化されているのか、弱者ゆえにどのような抵抗の仕方や権力の発揮の仕方をしているのかという抵抗的主体のあり方や弱者の権力の発揮の仕方をきちんと解明していくべきだ。その作業を経ない限り、現代社会のジェンダー秩序の編成原理を明らかにすることはできないのではないか。

 このような作業に取り組み始めると多くのフェミニストが警戒するだろうことは予想している。だが、新自由主義的な経済的・政治的構造の再編が進む現代の「ジェンダー秩序」を説明するためには、この作業に踏み込まねばならない。

 かつての「家父長制と資本制の二元的原理からなるジェンダー秩序」を指摘するためには、女性を抑圧するような構造を明らかにすることで十分だった。だが、現在の権力はより相互的な権力の行使によって成り立っていると言われることが多い。このような権力観を認めるのであれば、女性の側が男性に対するどのようなセクシズムをもってコミュニケーションしているのかも、ニュートラルに見ていかないと、権力構造全体と現代社会の権力の原理はうまく把握できないだろう。

 

 

 さて、阪井論文の言葉を使って女性の男性に対する「敵対的セクシズム/好意的セクシズム」とは何かをまとめると、女性の男性に対する敵対的セクシズムは、「男性優位の勢力関係に対する反発や反感に基づく否定的な態度や信念であり、男性は自分たちのことを見下してい る、すぐに性的な嫌がらせをしようとするなどの信念・態度」で構成されている。

 女性の男性に対する好意的セクシズムは、「男性優位の勢力関係を受容し、男性を経済的に支えてくれるありがたい存在と見なす態度や、自分たちにとって必要な存在とする価値観」のことを指す。

 これはいずれもステレオタイプに基づいた判断であることはたしかで、私もこの論文を読んだとき「あぁ自分はけっこうステレオタイプ化された男性像に基づいて現実の男性に接していたかもしれないなぁ」と思ったのですが、まぁ一度そういうことに自覚的になり、「いやまてよ、でも現実の男性でこういうところもあることは事実だし」…とかいうことを一周ぐるっとまわって考えたうえで、さて、このようなステレオタイプは妥当なのか、なぜこのようなステレオタイプが歴史的に成り立ってきたのか、これによってどのような社会的効果や権力の効果が発生しているのかなどを考えていくことが必要だと思う。

 

 阪井さんは、好意的セクシズムは男女間でパートナーシップを結ぶことへの適応として形成されたものであるという前提に立ち、好意的セクシズムは恋愛関係や結婚関係に対しては必要不可欠な要素なのではないかとしています。つまり、好意的セクシズムが強いことは、恋愛関係や結婚関係にポジティブな影響を及ぼしているのではないか、と。

 この仮説そのものがこの論文で検証されているわけではないので(後述するようにもうちょっと色々複雑)、ピンポイントでこの仮説が支持できるのか棄却されるのかは明らかではありません。これ調査したら面白そうだし、調査自体はできそうです。その人の交際人数とか恋愛経験と、その人の好意的セクシズム度を測定して相関関係を見ればいいという話なので(調査が簡単か面倒かとか、予算あるのかとかは置いておくとして)。

 ここまででとりあえず分かるのは、阪井さんは「セクシズムだからすべて悪、排除すべし、セクシズムをなくしていくにはどうしたらいいか?」という議論をしようとしているわけではないということですね。セクシズムがどのように機能しているのかを、ニュートラルに見ていこうという立場だとわかります。

 で、このような研究をしたからと言って、「現状肯定主義者!」とか、「保守主義者!」とかいうのは、当たらないと思います。だって、こういう権力のミクロな関係性の分析とか、権力の作用の仕方とかを解明しなければ、セクシズムを変えていくこともできないわけですから。

 

 それから、敵対的セクシズムに関して言えば、敵対的セクシズムを抱きつつ異性と付き合うという矛盾するようにも見える現象にどのように適応しているのか?という問いが成り立つわけで、それを調べるために、色々検討されています。

 

・・・続きます。

(今日は、いまからジンメル研究会会報に載せてもらう文章を書く予定なので、続きはまた今度)