マルクス主義フェミニズムとは、1970年代から80年代に登場してフェミニズム理論を形成した一つの思想潮流で、「性支配」の物質的基盤(下部構造)の分析を重視する立場を特徴とする。物質的基盤(下部構造)分析は、おもに経済学的・政治的制度の分析になるが、経済学者や政治学者でなくてもできる(やることが許されている)そういう一領域である。
マルフェミといえば、日本では上野千鶴子さんの 『家父長制と資本制:マルクス主義フェミニズムの地平』(1990)が有名で古典とされてきました。改めて読み直してみると、上野さんは、セクシュアリティの問題を「家父長制」として論じていて、ヘテロセクシズムとかヘテロノーマティビティの問題だとは捉えていなかったということに気づきます。
そのことは、引いている文献にも反映されている。上野さんはおもに以下のような文献を引いてマルフェミを紹介し、議論している。
●クリスティーヌ・デルフィ(1970年代のフランスの女性解放運動(MLF)を牽引、その後もフェミニズム思想家としてけっこう活躍)の1984, Close to Home: A materialist analysis of women's oppression, London, Hutchinson, & The University of Massachusetts Press, (=『なにが女性の主要な敵なのか ― ラディカル・唯物論的分析』井上たか子, 加藤康子, 杉藤雅子訳, 勁草書房, 1996)ちなみに、デルフィ自身はレズビアニズム運動にもコミットしている。
●ジェンダー平等の測定とかを実証的にがっつりやる系のSylvia Walby(イギリス)。1986, Patriarchy at Work: Patriarchal and Capitalist Relations in Employment, 1800-1984, Polity Press.
●それから、マルフェミと言えば、今でもこの人な感じがあるHedi Hartman(英語圏の経済学者)。
●英語圏の文学系(専門はヴァージニア・ウルフ)フェミニストMichelle Barrett, 1980, Michele Barrett. Verso. Women's Oppression. Today. Problems in. Marxist Feminist Analysis.
https://genderstudiesgroupdu.files.wordpress.com/2014/07/womens-oppression-today-barrett.pdf
(大貫学さんが、ミッチェル(1974)が、ラディフェミの「家父長制」概念をマルフェミに持ち込んだと紹介していたような記憶があります。)
●あとAnnette KuhnとAnnMarie Wolpe編の本(1978)で、これは、上野さん自ら翻訳してますね。(『マルクス主義フェミニズムの挑戦』 (1984年、上野 千鶴子訳)
(資本制と家父長制の二元論/一元論論争については、今度詳しく書くので、ここではちょっと置いておきます)
それに対して、ハラウェイの『猿と女とサイボーグ』(1991=2017)に収められている「第7章 マルクス主義事典のための「ジェンダー」:あることばをめぐる性のポリティックス」や、バトラーの『ジェンダー・トラブル』(1990)では、マルフェミの一環として、
●セックス/ジェンダーシステムを提唱したゲイル・ルービン, 1975,The Traffic in Women Notes on the "Political Economy" of Sex や
https://summermeetings2013.files.wordpress.com/2013/04/rubin-traffic.pdf
●モニク・ウィティッグ, 1981, “One Is Not Born a Woman“ .
●アドリエンヌ・リッチ, 1980, Compulsory Heterosexuality and Lesbian Existence
http://www.posgrado.unam.mx/musica/lecturas/Maus/viernes/AdrienneRichCompulsoryHeterosexuality.pdf
が共通して引かれており、レズビアニズムによる革命(親族体系構造の変革)の議論がマルフェミの一つ(親族体系の物質的基盤を分析したもの)として想定されている。
つまり、欧米のマルフェミの議論では、セクシュアリティを通した「男性による女性の性支配」というのは、「家父長制」(パトリア―キー)の問題であり、かつヘテロセクシズムの問題として議論されてきたのだが、
日本に輸入されるときには、「家父長制」だというところだけが入ってきて、それに張り付いてセクシュアリティに関する深い分析をしてきたヘテロセクシズム批判のところはうまく入ってこなかったのではないか。
ちなみに、私は、この点に関して上野さんに非はないと思っています。というのも、上記論文タイトルを見ればわかるように、マルクス主義フェミニズムの「マ」の字も入っていないわけで、議論の渦中にいなければ分からなくても仕方ないと思えるからです。
本日の知見:ヘテロセクシズムの唯物論的分析は、マルフェミが1970年代からやってきてるよ。
最近、『ジェンダー・トラブル』(1990)と『猿と女とサイボーグ』(1991=2017)と、ブライドッティの『ポスト・ヒューマン』(2013=2019)を3つ並べて読み、ポストモダンフェミニズムの何を継承してどう発展させていくべきなのかについての論文を書いているところです。その勉強の一環で気づいたので、書いときました。それにしても、バトラーの『ジェンダー・トラブル』と『家父長制と資本制』って、同じ1990年刊行なのだね。なんか感慨深い。