ポストフェミニズムに関するブログ

ポストフェミニズムに関する基礎文献を紹介するブログ。時々(とくに大学の授業期間中は)ポスフェミに関する話題を書き綴ったり、高橋幸の研究ノート=備忘録になったりもします。『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど :ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(晃洋書房、2020)、発売中。

アメリカのフェミニスト割合(2016年世論調査結果)

www.washingtonpost.com

 

ワシントンポストとKaiser Family Foundationが行った国民世論調査によると、女性の60%、男性の33%がストロングフェミニストもしくはフェミニストと答えているらしい!多い!

 

日本で同様の調査がやられているのを見たことがないけど(知っている人はぜひ教えてください。しかし、この質問を日本女性学会でも尋ねたけど情報提供がなかったので、たぶん日本ではやってないんだと思う)、日本でやったらこの半分くらいのパーセンテージなのではないかと予想されます。

 

女性年齢別にみると、18歳から34歳でフェミニスト率が63%と、50歳から64歳の68%に次いで高いので、2010年代のセレブによるフェミニスト宣言と、リーンイン・フェミニズムの影響が若い世代に影響を与えたんだなーということをひしひしと感じます。

 

フェミニズムを表す言葉は?→「エンパワーメント」が多いことからも、それはうかがえるわけで…(以下略)。

 

 

追記

ワシントンポストの調査でこんなにフェミニスト率が高くなったのは、

ストロングフェミニストフェミニストフェミニストではない/アンチフェミニスト/No Opinion の5件法であるところに起因しているような気がします。

 

例えば、下記のYouGovのように、「あなたは自分自身のことをフェミニストだと考えますか?」→イエス/ノー/Not Sureの3件法にすると、イエスと答える人は女性32%、男性19%にまで落ち込みます。

この「Not Sure」層を細かく見よう(インタビュー調査して解明しよう)というのが、ポスフェミの社会調査系がずっとやってきていることなので、後者のあたりの数字が現実のところなのではないかな、という気がします。

 

 

today.yougov.com

 

【翻訳】Gill, Rosalind, 2007, 「ポスト・フェミニズム・メディアカルチャー:感受性の要素」

ポスト・フェミニズムとかポピュラー・フェミニズムのあたりの研究だと、やっぱりカルスタをフェミニズムの立場から担ってきた大御所Angela McRobbie(1951-)がよく引かれるのですが、

次世代(60年代生まれ世代)の重要論者の一人は、Rosalind Gill(1963-)ではないでしょうか。主体性、アイデンティティの立場から新自由主義を捉えるという立場の議論をしています。

 

Gill, Rosalind, 2007, ”Postfeminist media culture: elements of a sensibility”, European journal of cultural studies, 10 (2):147-166.

「ポスト・フェミニズム・メディアカルチャー:感受性の要素」

本文はここから入手できます: https://www.ssoar.info/ssoar/bitstream/handle/document/22715/ssoar-eurjcultstud-2007-2-gill-postfeminist_media_culture.pdf?sequence=1

 

アブストラクト ~~翻訳~~

 ポスト・フェミニズムという概念は、フェミニスト・カルチュラル分析の最も重要な語彙のひとつになっている。しかし、ポスト・フェミニズムが何かということについての合意は、ほとんどない。この論文は、ポスト・フェミニズムとは、相互に連関したいくつものテーマから作り上げられる、あるきわだった「感受性sensitivity」だと考えると、最もよく理解できるということを論じる。

 

 相互に関連したいくつものテーマは、「女性性」とは身体的特性(bodily property)ーーすなわち客体化から主体化へのシフト、自己監視、自己管理、個人主義、選択、エンパワーメントへのフォーカス、克服パラダイムの支配、性の自然な違いという考え方の復活など――であるいう概念(notion)を含んでいる。

 

 それぞれのテーマを、現代的なアングロ・アメリカン・メディアの事例を用いながら、詳しく探求する。これらの概念(idea)のパターン化された接合がポスト・フェミニズムの感受性を作り上げている。

 

 また、この論文は、このような感受性と現代の新自由主義との関係を論じる。

 

~~翻訳ここまで~~ 

【翻訳】(Heywood 2005)ポスト・フェミニズムとは

Heywood, Leslie L., 2005, The Women's Movement Today: An Encyclopedia of Third-Wave Feminism, Greenwood.の「ポストフェミニズム」の項目(p.252)の翻訳

 https://www.amazon.co.jp/Womens-Movement-Today-Encyclopedia-Third-wave/dp/0313331332/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1541050919&sr=8-1&keywords=heywood+women%27s+movement

 

最初に簡単にまとめてしまうと、ポスフェミとは、

(1)一般社会において、

フェミ離れの若い女性たちをカテゴライズするための言葉。おもにマスコミが使用する他称。

 

(2)フェミニズム内において、

現在のフェミニズムを批判する人たちをカテゴライズする言葉。おもにフェミニスト内で、自称、他称で用いられる。この場合のポストフェミニストは第三派フェミニストとの違いを言うのがけっこう難しいが、私(高橋)の理解では、カルチュラルスタディーズを含むポピュラーカルチャー研究の人はポストフェミニズムという語を用い、第三世界フェミニズムを重視するポストコロニアル研究寄りの人(文学系のフェミニズム批評の人なども含む)は第三派フェミニズムという語を使う傾向がある。

 

(3)フェミニズムの中の理論的立場として、

福祉国家体制から新自由主義体制へという経済構造への転換を踏まえて、個人のアイデンティティが変化していることを捉える必要があるという理論的立場(パースペクティブ)をとる人が、とくに文化的現象を捉えようとするときに「ポストフェミニズム」と言うことが多い。

 

~~では、以下翻訳(部分的に意味が通りにくいところは意訳もあり)~~

ポストフェミニズムという語は、異なるコンテクストにおいて異なる意味で用いられる。この複雑さは、ポストフェミニズムという語を定義することを難しくしており、また第三派フェミニズムとポストフェミニズムの間の緊張関係の中心をなしている。

 

アメリカ合衆国の、とくにポピュラー・プレスでは、ポストフェミニズムとは、(1)かつてのフェミニズムの獲得物(gain)を認識しているが、自分自身が「フェミニスト」とラベリングされることを拒否する人々(「私はフェミニストではないけど、しかし…」と主張する人も含む)をカテゴライズするためのキャッチフレーズとして使われてきた。

 

また、(2)フェミニズムへのバックラッシュ(ほとんど、フェミニズム以前の状態に戻ろうとするもの)や、フェミニストアイデンティティを主張する個人による、現在のフェミニズムへの攻撃を説明するためのキャッチフレーズとしても用いられてきた。

 

(3)多くのヨーロッパやアメリカの学者は、個人とアイデンティティの変化を把握するための理論的立場として、ポストフェミニズムを描いてきた。

 

ポストフェミニズムの存在は、現代のフェミニズムが取り巻かれている曖昧さの証拠である。第三派フェミニズムは過去を拒否することなく、定義の景観(landscape)を変えるということをしてきたが、

 幾人かのポストフェミニストは、フェミニズムの黄金期をほめたたえると同時に、ポストフェミニストにとって女性の犠牲者地位を促しているような活動をしていると見える人たちのことを、こき下ろしている。

 他のポストフェミニストたちは、より強い例へのアクセスや情報のなさによって苦しんでいるように見える。例えば、『タイム』マガジンは、第二波フェミニズムの運動やリーダーシップと、フェミニストロールモデルとは程遠い女性像(例えばTVキャラクターのアリー・マクビー)とを並列している。それは、フェミニスト・アクティヴィズムやリーダーシップといったものの鮮やかな事例(vibrant examples)を知らしめるのに失敗している。

このようなことを通して、フェミニズムはいまでも申し分なく生きているということは明らかだ。――そして、このような考えは、第三派フェミニズムとも相性が良いものである。

 

 ~~翻訳ここまで~~

ヘイウッドのまとめの特徴としては、

ポストモダニズムやポストコロニアリズムの影響を受けたフェミニストたちも、「ポストフェミニズム」を名乗っていた(日本では竹村和子が有名)という点の説明がないこと。

たしかに、2000年代以降の英語圏の文献・論文をみると、ポスト・フェミニズムという言葉を使う人は、だいたい新自由主義との関係で新しいフェミニズムのあり方を論じようとする人が多数なので、こういうまとめになるんだろうと思います。

 

 

 

赤坂憲雄 『3.11から考える「この国のかたち」:東北学を再建する』(2012、新潮選書)

「東北学」の提唱者・赤坂憲雄は、震災直後から発信していた人の一人である。

2011年4月に始まった政府の「東日本大震災復興構想会議」のメンバーであり、 また遠野文化研究センターの所長として震災者支援活動をするだけでなく、被災地を歩き回って思考を紡いだ。

 

 多くの人が被害のひどさに茫然とし、どう言葉を与えればいいのか戸惑っていた時期から、ともかくも何かしらの言葉を社会に与え続けた点で彼は偉い人だと、私は思う。だが、裏をとらずに「ともかく」喋ってしまっていることも多い。だから、精査が必要だ。それが、「東北学」という枠組みを引き受けるか否かは別としても、「東北学」という形で切り拓かれた知を前に進めていくことになる。

赤坂はいろんなことを言ってきたわけだが、そのなかで今でも考える価値があると私が思うのは、次の2つ。


1. 死をともに悼み弔うことを通した共同性が生まれている

事例①地震津波によって壊滅的に破壊された廃墟の中に、小さな霊場ができている

鳥居や、卒塔婆、救出された地蔵や観音が置かれ、花が添えられているような場が、各地にできている。

「海沿いを歩くと、いたるところに、小さな霊場や聖地が生まれつつあります。草むらのなかに卒塔婆が経て地たり、堤防のわきに花やお菓子が供えられています。一瞬にして奪われたたくさんの命、それぞれの思いや記憶が行き場もなく浮遊しているのです。二万人の魂を鎮め慰めるというのは、たいへんな仕事です。既成宗教はみな、うまく応答することができずにいますね。だからこそわたしには、人も獣も魚も草や木も「すべての命」の供養のために、という鹿踊り(ししおどり)のメッセージが深く響いてくる予感があるのです。それはたぶん、浄土思想によってデザインされた平泉という中世都市にも存在した、どこか東北的な命の哲学を宿しているのです。」(赤坂 2012:86)

 

事例②2011年の夏から秋にかけて、被災地の民俗芸能が復活した
民俗芸能には、鎮魂と供養という意味合いが込められていた。したがって、多くの人が一度に亡くなったこの時期に、民俗芸能が復活するのは何ら不思議なことではない、と赤坂は論じている。

→今後検討すべきこと

・具体的にどこの民俗芸能が復活し、どこが復活しなかったのかという基本的なデータが必要

・復活した民俗芸能が、2012年7月の『明治天皇百年祭 郷土芸能奉納』や、2014年4月の『昭憲皇后百年祭』で奉納されたということ(磯前順一氏が『死者のざわめき』(2015、河出書房新社)で指摘している)をどう考えるのか。

 

 2.今回の津波で潟に戻ってしまった場所は、明治30年代の国家事業としての干拓によって陸となったところだ。人口8000万人の日本列島の姿を見据え、そこが再び潟や浦に戻っていくこともあるのではないか。例 八沢浦

 
明治30年代に干拓が行われて田んぼになったところが、津波に洗い流されて、潟のようになっている。浦に戻ったのだ」(赤坂 2012:48)

「妄想のように受け取られるとは思いますが、こんなシナリオはどうでしょうか。それは潟や浦といった自然生態系をそのままに受け入れることです。百年前の八沢浦には、風光明媚な潟が広がっていて、そこで漁が行われ、塩づくりが行われていました。日本の近代は潟をひとつひとつ壊し、水田に変えてきましたが、潟というのは生物多様性の宝庫だったのです。日本的な海辺の風景がそこに凝縮されていたのです。」(赤坂 2012:94)

 

私はこの議論に関しては、かなり反発をおぼえます。 今後、より丁寧に考えていきたいと思います。

ジェントルマンとミソジニーの違い

(モテの話はちょっと、置いといて。)

 

ジェントルマン文化が家父長制的(パトリア―キー)でパターナルだったことは歴史的な事実であり、ミソジニー女性嫌悪)感情を基盤にしていたことを否定することもかなり難しいと思います。が、現代のイギリス人男性は、ミソジニーを排したジェントルマンであろうとしております。

 

How Gentlemanly Thoughts Differ From Misogynistic Thoughts 

という記事が面白かったので、紹介。

 

~~以下から翻訳。かなり省略あり。面倒だから、時々そのまま英語。あと適当に必要な情報は補足してます~~

 

ベネボラント・セクシズム(善意的性差別もしくは好意的性差別)っていう語が、 Peter Glick and Susan Fiskeの1996年の研究で紹介されたね。ハフポス(  Huffington Post )の説明によると、どうやら「善意で女性を理想化し、その女性に対してパターナリスティックな態度を取ること」(“a paternalistic attitude towards women that idealizes them affectionately.”)らしい。

 

ジェントルマンは、セクシスト(性差別主義者)じゃない。じゃあ、どう違うのか、解説していこう。


1、レイディにドアを開ける 

Misogynist: “I will open this door for you because you are female, and your limbs are frail, and you haven’t built enough muscle to counteract the resistance of the door.”

(ミソニジニスト:僕、ドア開けるよ。だって、君は女性だし、君の腕力じゃ無理でしょ。)

 Gentleman: “I’m opening the door for you because I’m a respectable man. As it turns out, I open the door for everyone.”

(ジェントルマン:僕は、リスペクタブル・マンだからドア開けるよ。ま、僕は誰に対してもドア開けるけどね。)

 

2、最初のデートでディナーをおごる 

Misogynist: “I’m paying for dinner because I expect something in return…and it starts with the letter ‘s’.”

 

Gentleman: “I’m paying for dinner because it’s courtesy to pay for dinner anytime I invite a guest to join me. This is also why I’m successful in business.”

(ジェントルマン:僕が招待した人都のディナーではいつでも、僕が支払うんだ、それが作法だからね。)

 

*高橋コメント:courtesyってもとは宮廷での作法のことよね。現代でも使うんだ!と驚いた。あと、 最後に「だから僕はビジネスでも成功するんだよね」っていう一見するとよけいなのも入ってますが、ジェントルマンとは土地を持っている「郷紳(ジェントリー)」だけじゃなくて、19世紀以降金融で成功した人たちのことも指すので、ジェントルマン=ビジネスで成功という定義がここでは前提にされているのだと、解釈しておきます。

 

3、彼女が寒そうなときにジャケットを渡す
Misogynist: “I’ll give her my jacket because she forgot to bring one. Always forgetful. Typical of a woman.”

Gentleman: “She’s cold so I will give her my jacket to wear. It’s the polite thing to do.”

(ジェントルマン:寒そうな人にジャケットを貸すのは、礼儀正しいことだからね。)

 

4、荷物を上げるのを手伝う

Misogynist: “She’s a woman and doesn’t understand men like to pick things up and put things down.”
Gentleman: “I will ask her if she would like my help. If she doesn’t want it, I’m not offended.”
(ジェントルマン:彼女が助けてほしそうだったら、僕は手伝いましょうかって尋ねるよ。でも、もし彼女がそうじゃないなら、無理強いはしないな。) 


5、道路の車道側を歩く
Misogynist: “I walk closest to the street so I can check out other women driving by.”

Gentleman: “I walk closest to the street to protect her from traffic and splashing puddles, and according to  feminists,  ‘There is nothing sexist about cherishing or protecting another person.’”

(ジェントルマン:彼女を車の往来とか水たまりハネから守るよ。フェミニストによれば、他の人を大事にしたり守ったりするのは全然セクシストではないからね。)

 

~~以上、引用、翻訳ここまで~~

書いている人は、Kris Wolfeさん。最新刊は『女の子のハートを勝ち取る10の方法!』(2017)とかなんですけど、ええ、そこは置いといて、 上記の記事は、いい目の付け所だと思いました。

日常生活の細かいところで、かつ、みんながモヤモヤしているところを、ジェントルマン文化のタームですっきりと説明しています。 

 

現代的なジェンダー状況に合わせてジェントルマン文化を修正しながら使っていこうという動きって、具体的にはこういう感じなんだなー。