承認欲求について喋った回の内容を書いておきます。
1.
とりあえず、承認欲求はマズローらパーソナリティ心理学によって、こう整理されてきました。(下図は『心理学』有斐閣、2013、p.194より引用)
下位の欲求が満たされることで、より上位の欲求が湧いてくる。で、この欲求充足を積み上げ、最終的に自己実現の欲求を達成することが人間の成長(完成)である、という考え方ですね。
この区別を踏まえた上でですが、現代では承認欲求と自己実現欲求の融合が起こっているというのが、私の仮説(見立て)。少し詳しく書いていきます。
まず、承認欲求(esteem needs)とは、マズローによれば、自分が価値あるものであると、他者から認められたいという欲求のこと。承認欲求は、社会の外(他者の評価の外)では生きることができない「社会的動物」としての人間が持たざるをえない基本的な欲求。
→承認欲求が満たされると、自信、有用性の感覚、強さ、自分への信頼、世の中で役に立ち必要とされているという感情などを持つことができる。
承認欲求が満たされないと、劣等感、弱さ、無力感の感情が生じ、長引けば、根底的失望(人生に希望が見いだせないという状態)や、神経症的傾向を引き起こすことになる。
次に、承認欲求はマズローによれば「欠乏欲求」なので、一定程度満たされていれば、それ以上は湧かない欲求とされています (例えば食欲は、ある程度満たされたら収まる)。しかし、現在よく言われる承認欲求って「成長欲求」(どこまでも増大していくもの)になっていると思われる。つまり、ある程度承認欲求が満たされると「さらにもっと」という気持ちが湧いてくるようなものとして、現代の承認欲求はあるような気がする。
なぜこのような事態になっているのか?
第一に、承認が数値化・可視化されるメディア環境への変化が起こったから。インスタやツイッターでの「いいね」数、フォロワー数のように「承認」が数値化・可視化されたことで、「さらにもっと」という気持ちをかき立てやすくなっている。
第二に、物質的豊かさを達成した現代社会においては、金銭よりも、他人の注目や好意の方が希少財になっており、承認(同意、共感、憧憬、権威など)を得られることが、価値あることになっているから。
第三に、承認を得ることがおカネにもなるという経済的環境が、上記の状況を支える基盤として成立しているから。
・理念や目標などへの共感を集めることがビジネスになるという現状がある(社会的起業家を想起せよ)。
・SNSでの注目の高さがビジネスになるという現状がある(インフルエンサーを想起せよ)
おもに、これら3点くらいの要因により、承認欲求を満たすことと自己実現欲求を満たすこととの距離は近づいている。現代社会では「承認欲求に基づく行動が自己実現になる」という回路が成立しているのではというのが、私が今のところ至っている地点。現代社会では、承認欲求をモチベーションにして動くことが社会的に意義のある行動(経済的に稼げるとか、社会的理念や理想の達成になるとか)になるという点でマズローの時代とは違ってきている。
というわけで、マズローの承認欲求モデルは再検討を迫られていると言えそう。
2.
そもそも、従来の心理学では承認欲求の強さは病理現象として扱われてきました。承認欲求が強すぎる場合には、以下のような病理が疑われる、のように。
・愛着障害:親密な他者との愛着関係が適切に形成できず、「安全基地」が形成できなかったために引き起こされるパーソナリティ障害。これによる過度な承認欲求が観察されることがある。
・自己愛性パーソナリティ障害:ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込むパーソナリティ障害の一類型(←このソースwikiです…)
・アスペルガー:言葉の発達や知的発達の問題のない発達障害で、「対人関係の障害」「コミュニケーションの障害」「パターン化した興味や活動」といった大きく3つに分けられる障害のいずれかやその複合的な症状を引き起こすもの。
・総合失調症:妄想や幻聴が生じることで、現実との接触がうまくできなくなってしまう精神病。周囲に感心をもたなくなったり、逆に現実または妄想で人に見捨てられることを強く恐れたり不安を抱いてしまうといった様々な症状が出る。気分の波が激しく感情が極めて不安定であるために感情を上手くコントロールすることができず、攻撃的な形で承認欲求を満たそうとしてしまうこともある。
などなど。
こういった心理学における「承認欲求」の取り扱い方を踏まえてかどうかは、ちょっとわかりませんが、日常生活レベルでも「承認欲求をモチベーションにして動いている」ということには悪い印象が付随していますよね。承認欲求が強い人は、他者の顔色を気にしすぎていて、自己が確立していない(自分というものがない)というような「悪いイメージ」がくっついているわけです。
しかし、現在は、他方で、承認欲求をモチベーションに動くことは、ある程度一般的なことだとも思われているのではないでしょうか。「なぜ働くの?→食っていくために」という答えと同じように、「なぜ音楽やるの?→モテるために(社会的承認を得るために)」と言えばとりあえず納得してもらえる。それくらいには、「承認欲求を満たすために」という言葉は「通用」するようになっているという側面もある*1。
つまり、物質的豊かさを達成した社会では、「金持ちになるために」「金銭的に成功するために」が「動く」動機にならなくなっていくのに応じて、その分だけ「承認欲求をみたすために(=自分のすごさを社会的に証明するために、自分が考えていることの大事さを他の人にも認めているために、自分が思い描いている社会的理想を実現するために)」ということが「動く」理由になっていく。
その意味で、承認欲求をマズロー的な下位の欲求という位置づけで捉えていると、後期近代(物質的豊かさを達成し、低成長時代に突入した先進諸国の近代のモードをこういいます)をうまくとらえることができない。個人が「動く」動機を整理する際には、経済動機と承認動機の二本立てで整理するというような抜本的な再整理が必要な気がしています。
3.
「経済動機と承認動機」の二本立ての枠組みからなる思想の一つに、フランクフルト学派第三世代アクセル・ホネットの承認論があります。ジェンダー論界隈ではナンシー・フレイザーと論争したことでよく知られておりますわね。
このホネット=フレイザー論争で論点になった「承認か再分配か」(ちなみに、とりあえず論点整理されるときには、orで表記されることが多いですが、どっちもというのが正解ですよね…←詳細説明省いています)は、私がいま提起している「経済動機と承認動機の二本立てで人間の行動動機の整理をしようぜ」という話に、枠組みとしては近い。
ただ、この議論は運動論として展開されたもので、個人のナルシスティックな承認欲求の議論にどこまで適用できるかは実は難しい。ホネットを読むと彼はこのあたり(個人のナルシスティックな承認欲求)のことをほとんど視野に入れていないように思われる(数年前に読んだときはそう思った、これから再読しまする)。
ホネットの承認論は、90年代英米のアイデンティティポリティクスを説明したり論じたりするのにはすごくよく使えるのだが、90年代日本のマジョリティの「自己論」(「自分探し」、ポストモダンにおける自己の多元化など、構築主義的な自己論のかたちで社会学で発展してきたもの)の議論とは接続させにくいという特徴があります。
・例えば、90年代日本のマジョリティの自己論をもっともよくまとめている代表的論者といえば浅野智彦さんだと私は思っているのですが、彼は90年代日本社会論と「ナラティブセルフ」の文脈を接続させている(というかそれに基づいた自己論を確立している)が、ホネットの承認論は接続させていない(私が見落としているだけで、もしかしたらどこかで書いているかも。最近の浅野さんはソーシャルキャピタル論と友人論と自己論を接続させていることは確認しました)。
ホネットの承認論を90年代以降の日本の自己論や承認欲求論に「使う」場合、ここまで述べてきたように、人間観や個人観、個人の行動原理に関する基礎理論を、経済動機と承認動機の2つの動機を柱にして構想します、というような大ぶろしきを広げた話にすれば可能なのではないかと思い至った次第。(というか、そういう形で、こちらがかなり強く再構成をかけないと、ホネットと現代若者の承認欲求の議論を接続させるのは難しいと、私はいまのところ思っている。私が論文を書くなら、の話ね)
4.
あとは、おまけで、承認欲求に関して心理学者は色々細かく概念化して測定して研究を進めているよ、ということの紹介など。
・例えば、賞賛獲得欲求(他人からの高評価を得たいという欲求)と拒否回避欲求(嫌われたくない、変な人だと思われたくないといった否定的評価を回避しようとする欲求)を区別して議論している論文の例としてこちら
「大学生の賞賛獲得欲求・拒否回避欲求と両親に対する社会的勢力認知との関連」(2012)https://www.jstage.jst.go.jp/article/pacjpa/76/0/76_1PMB19/_pdf
「防衛的悲観性と賞賛獲得欲求・拒否回避欲求の関連─ 2つの承認欲求がともに強い人の特徴について ─」(2011)https://ci.nii.ac.jp/naid/110009493134
「承認欲求の賞賛獲得欲求と自己愛の賞賛獲得欲求一この2つは何が違うのか?一」という論文もあります。https://www.jstage.jst.go.jp/article/amjspp/18/0/18_92/_pdf
私個人としては、称賛獲得欲求の高低の軸と拒否回避欲求の高低の軸で4象限図式をつくると、それに応じたSNS上での行動パターンが説明できそうで面白いなーと思っています。
つまり、
A【称賛獲得欲求高・拒否回避欲求低】 他者からの賞賛や注目を得たいという欲求が強く、他者からの批判や拒否を回避しようという発想があまりないので、人から評価を受けることに関して積極的に行動。→SNSでの発信を積極的にする。
B【称賛獲得欲求高・拒否回避欲求高】他者からの賞賛獲得欲求が高く、他者からの否定的な反応(拒否)を回避したいという欲求も高い場合、SNSでどう行動するかは、ちょっと不明。人による?Aの人ほどは積極的には行動しないと予想される。
C【称賛獲得欲求低・拒否回避欲求高】人間関係の現状維持を重視。目立つことはしない、人間関係を良好に保つことを目指す。→自ら積極的にSNSを始めることはないが、周囲がやり始めると同調圧力が働いて、SNSをするようになると予想できる。自分で発信するよりもフォロー、ファボ的コミットが多め(?)と推論できるが、実際には調査してみないと分からない(←これ、たんなる仮説を練りあげている最中のものですのですべて「推論」です、実証されていませんのでご注意を笑)
D【称賛獲得欲求低・拒否回避欲求低】他者の評価を気にしないので、おそらくSNSには関心を持たない。もしくは、SNSを情報収集手段としてのみ利用するなど。
ほかにも自己承認欲求と他者承認欲求も区別できそうな気がします。
自己承認欲求 自分で自分を認めたいと思う欲求のことで、自己啓発本を読んで意識を高めたり、高い技術を身につけるなど、自分自身を高めて満たす欲求のこと。
→欲求が満たされないとき、自分で自分を認められないという苦しさがある。これは、「自分はこの世界に存在していてもいい、自分には価値があるという自己愛」の欠如、愛着障害、自尊感情の低下、自己効力感の低下などが関わるもの。
他者承認欲求 他人に認められたいと思う欲求のこと。組織の上に立ちたいなど社会的地位や名声を得たいといった欲求や、SNSで「いいね」をたくさんもらいたい、注目を浴びたいといった欲求のこと。
→他者依存的になってしまうことで自分のアイデンティティが不安定するという苦しさがある。また、他者承認欲求の高い人の行動は、あたかも「他人を、自分を承認してくれる道具としか思っていない」ような態度となることがあり、その点で他者から嫌われやすいという問題がある。
みたいな整理ができそう。
以上、承認欲求関連で論文にならないレベルの思いついたことを書いてみましたー。
このあたり考えるの、おもしろいですよね。
【参考文献】
山田一成・北村英哉・結城雅樹編, 2007, 『よくわかる社会心理学』ミネルヴァ書房.
無藤隆・森敏昭・遠藤由美・玉瀬耕治, 2013, 『心理学』有斐閣
A.H. マズロー, 1987, 『人間性の心理学-モチベーションとパーソナリティ(改訂新版)』(=小口忠彦訳)、産業能率大学出版部.
土井隆義, 2008, 『友だち地獄:「空気を読む」世代のサバイバル』ちくま新書.
山竹伸二, 2011, 『「認められたい」の正体:承認不安の時代』講談社現代新書.
Jonathan Haidt, 2012, The Righteous Mind: Why Good People Are Divided by Politics and Religion..(=2014, 『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』紀伊國屋書店.)
*1:私は、人が音楽をやる理由は、ある情熱に取りつかれてしまったからとか、何かの状態に陥ってしまったからというような人に伝えにくいある状況というものがかかわっていると思っています。