ポストフェミニズムに関するブログ

ポストフェミニズムに関する基礎文献を紹介するブログ。時々(とくに大学の授業期間中は)ポスフェミに関する話題を書き綴ったり、高橋幸の研究ノート=備忘録になったりもします。『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど :ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(晃洋書房、2020)、発売中。

一般女子に受けの良い『おっさんずラブ』について

腐女子でない「一般の女の子」の『おっさんずラブ』(以下、さしあたり2018年4月21日‐6月2日に「土曜ナイトドラマ」枠で放映された前7回のドラマを指す)好き率が高い。

 

今年(2019年)のゼミ中や、講義後に個別的に話に来てくれる女の子たちとの雑談のなかで、色々聞いてみると、異性にモテそうなかわいい女の子が、晴れやかな顔で(人にも聞こえる大きさの声で)、屈託なく「『おっさんずラブ』おもしろかった~」と言う。

 

とうとう、『おっさんずラブ』が面白かったから、LGBTの現状や日本の同性婚制度について調べてプレゼンすると決めた人まで出てきた。

 

ここ数年、一年生向け授業で「なんでもいいので、自分の関心があることで社会学的に研究していきたいな~というものを見つけてください」って言うと、

 

一定数の女性がLGBTについて調べてみたいと言う、という傾向が見られた。

(「一定数の女性」にはストレートと思われる女子が多い。時々、当事者だとそれとなく私に伝えてくる男性もいるが、大部分はセクシュアル・マジョリティ女性だ。)

 

今年は、そのきっかけが『おっさんずラブ』……。

このきっかけそれ自体について、あれこれ言うのは、やめようと思う。注視すべきは、それがどういう偏向を持ちうるのか、それによって何が起こるか、セクシュアルマイノリティを苦しめるようなおかしな動きにならないかどうか、だ。

 

 

 

2.

というわけで、遅ればせながら『おっさんずラブ』観ました。

うん、たしかにすごく面白かった。ドラマとしてのテンポの良さや、展開のスピードが絶妙だし、丁寧に作られている。

成功の最大の要因は、主人公・春田のモノローグの多さは完全に少女マンガチックだが、田中圭が演じる主人公の行動やキャラクターが、完全に王道少年マンガの主人公だっていうところにあるのではないかと思う。

(「王道少年マンガの主人公」とは、憎めないいいやつ。情に厚いが細やかな機微には疎く、オーバーリアクションで元気いっぱい。)

 

つまり、少年マンガ主人公を少女マンガヒロインを捉える手法で描くことに成功したので、評価が高くなったのではないか。例えば、アニメの絵(動画)に声優が声を当てるみたいに、モノローグをガンガン展開するという手法は、主人公のキャラクターがよく分かるし、感情移入できて愛着湧くし、面白いし、すごくよかったと思う。

 

・あと、男同士のボディタッチを完全に男子校ノリなやつとしてやったから、広く一般に受け入れられたんだろうなぁ。(でも、BL初心者の私でさえ、「どうせやるなら、もうちょいBLっぽい顔をしてくれることを期待したんだけどな、最後の場面のワンカットだけでもいいから!」ってのはあったりしました。注1)

【注1】BL的欲望がいかに暴力的かということは、私なりに理解しています。ただ、ここまでくると、BLはもはや様式化された文化的一ジャンルになったと言っていいと思うので、倫理的な配慮をしつつ芸術論・文化論の観点から何かを言うことは許容されるはずだ、と私は思っています。

 

他にも良いところを挙げようと思ったら、色々論点はありますよね。

 

3.

と、最初に良さを語ったうえで、一つ言わねばと思っているのは、『おっさんずラブ』観た人全員に、『部長、その恋愛はセクハラです!』(牟田和恵、2013、集英社新書)を読んでほしい(笑)ということ。

仕事だと言って部下を呼び出して、恋愛的・性的アプローチをするのは、完全にセクハラ(=権力の乱用)。だって、部下は逃げようがないし、断れないからね。

いかに部長が乙女チックで、少女まんがの主人公のようなピュアなかわいさを持っていても、アウト。相手が同性でも異性でも、アウト。

 

他にも、第一話でバス内の女性が「チカン」され、春田がその犯人だと疑われるという場面が出てくるんだけど、そのシーンの後「じゃあチカンの本当の犯人は誰だったの?ちゃんと解決したの?」っていうのは一切かかれない。背景の方でなんかそれらしい解決に向けた動きをやったりもしていない。ストーリーの本筋に関わらないところだから、描いていないっていうのはわかるんだけど、そういうのはすごくもやもやする。

で、「あ、ドラマってそういうものだったわ、久しぶりに見たから基準を修正しなきゃ」って思いながら見ていたので、最初の方はけっこう苦痛でもあった。

 

このドラマの制作陣が「おっさん」だらけだから、こういうところのチェックが甘くなるのか?と思ったのですが、プロデューサーの 貴島彩理さんをはじめ多くの女性が関わっているんですよね。

 

となると、これってマスコミ系新自由主義的女性の恋愛・性愛・セクハラ観と、フェミニストがセクハラだと捉えている基準との乖離だと捉える方が正しいのだと思う。

ここらへんについて細かく考える必要性がありそうだな、と思ったりしました。

(ポストフェミニズムのブログなんで、最後はこの話題で)